高原氏神神社 ちゃごかご(法悦祭)

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 吉野の大滝ダムを超え、川上神社上社を過ぎると高原に出ます。

 ここ高原は、今を去る九百余年前、永禄年間(1046~1053)迄は、吉野の奥の院高天が原といわれたところで、大川筋からの入口は断崖絶壁を削りながら伸びる細くて急坂な林道があるだけで、この奥に集落
があるのかと疑いたくなるほどである。

 この幽僻な地に幾千年に渡る永い歴史が秘められ、今もなお里人の心の中に生き続けている。
 
 我らの祖先は身を挺して皇室御連枝の守護に当たり、南朝の帝が受難の長録の凶変には真先に馳せ参じ
尽忠の至誠を捧げたのである。

                                     高原村史より抜粋


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 現地に着くと、大太鼓の音が鳴り始めました。

 村の中心にある氏上神社に向かうと、もうすでに法悦祭(チャンゴカンゴ)がはじまっていました。



 【法悦祭(チャンゴカンゴ)】

 はじまりは村上天皇の天徳年間(957年~960年)今から約千百年前だという。悪疫退散、作物豊穣等の祈祷のための鎮護加護の行事である。
 昔は毎年旧盆に行い、今は新暦八月七日から行う。入若、兄方と称する青年が出仕したが、過疎化の今は各垣内の当番制で執行する。
 場所は元安楽寺氏神の隣り)で、いまもなお昔のままに続けられている。

                                     高原村史より抜粋


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 もう既に宴会が終わった。。。?


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 氏神神社御神体は椎喬親王に擬せられているが、極秘に伏せられ口外を許さない。この掟は、今日なお厳守されていて、神主といえども定かでない。本殿には彩色彫刻を施し、正面二柱の三面には菊桐花の
御紋章を彫り、本殿基礎は全部円形のシックイで覆われ、その底辺中央より後方三十余メートルに及ぶ貫通する羨道が認められ、古墓宮ではないかと思われる。

                                     高原村史より抜粋


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 終盤になると、太鼓を囲み皆で太鼓をついて周ります。


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 そして、最後は太鼓を宙に。。。。。


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 ただ鐘や太鼓を鳴らすだけのお祭りでしたが、子供たちが華を添えてくれました。

 ただただ無邪気で、かいらしい。。。。


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 氏神神社では、神事が行われこの祭りの幕は落とされました。


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 宮司さんらしき人にいろいろお話を伺っていると、この村史を譲り受けました。

 多くの人に伝えればと、この村史から抜粋し転載させて頂いていました。

 ほんと、感謝いたします。





■撮影日  2012年8月15日(水)
■所在地  吉野郡川上村高原 元安楽寺境内