小原神社(藤原鎌足 生誕の地)

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 飛鳥坐神社の右脇を登っていくと大原の里(今は小原と書いて、おおはらと読みます)に出ます。
 まずは大伴夫人のお墓が右手に、しばらく歩くと左手に藤原鎌足生誕の地。小原神社が現れます。

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 社の正面右の道路脇には『大織冠誕生舊跡』の石碑があります。『大織冠』とは、天智天皇が死の床にある中臣鎌足の家に弟の大海人皇子(後の天武天皇)を遣わして藤原の姓とともに授けた大臣の位です。

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 また、道沿いには万葉歌碑がありました。

 わが里に 大雪(おおゆき)降れり 

   大原(おおはら)の 古(ふ)りにし里に 降らまくは後(のち)  

                                  天武天皇(巻2・103)


 わが岡の おかみにいひて 降らしめし

            雪の摧(くだ)けし そこに散りけむ

                                  藤原夫人(巻2・104)


 天武天皇が 『私の住む浄御原宮(きよみはらのみや)に大雪が降ったよ。

 大原の古ぼけた里に降るのはもっと後だろうよ』と贈った歌に、藤原夫人、すなわち鎌足の娘の五百重

娘(いほえのいらつめ)が 『私のいる大原の岡の神に言い付けて降らせた雪が砕けてそこに散ったので

しょうよ』と返します。飛鳥の里に降った雪をめぐるユーモアに富んだ相聞歌です。


 お互いに信頼しあった近しい関係にあったことが覗えます。天武天皇五百重娘との間には第7皇子

新田部皇子が生まれています。


 この神社の裏の藪の中に鎌足産湯の井戸があります。案内板も無くひっそりと保存されていますが、

知らないとわからない遺構です。

 せっかくの遺構なのですから、もう少しわかりやすくしてもいいのかと思いました。

 これが、明日香のいいところなのかもしれませんね。

 この道を更に東に進むと八釣の集落。

 八釣の宮跡に出ますが、こちらも何の説明、保存?もなく一般の観光者には縁の無い地域となっていま

す。 

 私も、歴代の天皇の宮跡に興味を持ってはじめて知った地です。

 また、明日香の夕景スポットのひとつとして畝傍山に夕陽が沈む光景は、なんとも言えない世界を繰り

広げてくれますよ。





■撮影日  2007年6月19日(火)