南阿田 源龍寺 流し雛
五條市南阿田の【流し雛】実施について
五條市南阿田地方に戦前までは「流し雛」の伝統が残されていましたが、戦中戦後は一時途絶え、昭和44年(1969年)に復活され、今年は39回目になります。
素朴な昔ながらの色紙で着物と袴を作り、大豆で頭をつけた雛男女一対を、竹の皮で作った船に、紙で作った一文銭を添えて乗せ、吉野川に流します。
「流し雛」は、この雛が、紀州の淡島神社へと流れ着くようにすることによって、女の子の病封じを祈願するならわしで、「流し雛さま、私たち今までの罪汚れを吉野川の流れの上に、おとき下さいまして、清く、正しく、明るく健やかに育ちますようにお願い致します。どうか私達の切なる願いをおききどけ下さいませ。」と願いを託す行事です。
ちなみに、「流し雛」は、源氏物語須磨の巻に光源氏がお払いをして雛を船に乗せ、須磨の海に流したという著述があります。また、吉野川は、古くから「命の川」と伝えられ、生涯で31度も吉野に行幸した持統天皇は、吉野川でしばしば「みそぎ」をされました。
五條市南阿田地方に戦前までは「流し雛」の伝統が残されていましたが、戦中戦後は一時途絶え、昭和44年(1969年)に復活され、今年は39回目になります。
素朴な昔ながらの色紙で着物と袴を作り、大豆で頭をつけた雛男女一対を、竹の皮で作った船に、紙で作った一文銭を添えて乗せ、吉野川に流します。
「流し雛」は、この雛が、紀州の淡島神社へと流れ着くようにすることによって、女の子の病封じを祈願するならわしで、「流し雛さま、私たち今までの罪汚れを吉野川の流れの上に、おとき下さいまして、清く、正しく、明るく健やかに育ちますようにお願い致します。どうか私達の切なる願いをおききどけ下さいませ。」と願いを託す行事です。
ちなみに、「流し雛」は、源氏物語須磨の巻に光源氏がお払いをして雛を船に乗せ、須磨の海に流したという著述があります。また、吉野川は、古くから「命の川」と伝えられ、生涯で31度も吉野に行幸した持統天皇は、吉野川でしばしば「みそぎ」をされました。
【五條市HPより転載】
五條 南阿田の源龍寺の流し雛は毎年4月の第一日曜日に行われます。
本堂内では、お雛様の前に流し雛が奉納されていました。
このあと、雛供養が行われます。
このあと、雛供養が行われます。
源龍寺の前で、記念撮影♪
ちょっと箸やすめ。
菜の花を前ぼかしで試みるが失敗~
行列の周りには親子さんや、カメラマンで素朴なシーンが撮れましぇ~ん。
やっぱり長くつが必要やなぁ~。。。。 三脚を持って行ったが足場が不安定で。。。。。
あぶない。あぶない。 前のおじさんに、気をつけてねぇ~って言ったら、ムッとされちゃった。
あぶない。あぶない。 前のおじさんに、気をつけてねぇ~って言ったら、ムッとされちゃった。
結局、流し雛の写真は一枚も撮れず。。。。。 終わってから、わがままカメラマンの要望で、
流し雛の再現をしてくださった子供達をパチリ♪
流し雛の再現をしてくださった子供達をパチリ♪
この日は、午前中は吹雪いていたそうな。。。。 昨日まで暖かかったのに。。。。。。
なんとか流し雛がはじまる頃には、おだやかな天気になりましたが、まだまだ肌寒いです。
この日は、ブロ友のRIMIさんと初対面♪ お話し上手で銀さん夫婦と楽しい時を過ごさせて
頂きました。 ありがとう。。。。