安倍文殊院 さくら

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【歴史】
 大化の改新の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の氏寺として建立されたという。

 創建当時の寺地は現在の文殊院の西南300メートルほどのところであり、鎌倉時代に現在地に移された。旧寺地(桜井市安倍木材団地1丁目)は「安倍寺跡」として国の史跡に指定され、史跡公園として整備されている。発掘調査の結果、安倍寺は東(右)に金堂、西(左)に塔が建つ法隆寺式伽藍配置をもっていたことがわかり、出土した古瓦の様式年代からも創建が7世紀にさかのぼる寺院跡であると見られる。「東大寺要録」巻6には、東大寺の末寺の1つである「崇敬寺」が安倍倉梯麻呂の建立であることと、「崇敬寺」の別名が「安倍寺」であったことが記載されている。

 当院では陰陽師安倍晴明陰陽道の修行をしたともいわれ、2000年(平成12年)には安倍晴明堂が建立されている

重要文化財
・木造騎獅文殊菩薩及び脇侍像4躯(附:仏頂尊勝陀羅尼・文殊真言等1巻、木造住吉明神立像1躯)
 鎌倉時代を代表する仏師快慶の作で「知恵の文殊」として親しまれている。巨大な獅子にまたがる総高約7mもある文殊菩薩像を4体の脇侍像が取り囲む文殊五尊像である。文殊五尊像の脇侍は普通、善財童子、優填王(うてんのう)、最勝老人、仏陀波利三蔵と呼ばれるが、文殊院では「最勝老人」にあたる像を「維摩居士」、仏陀波利三蔵にあたる像を「須菩提」と称している。維摩居士像は後世の補作である。

白山神社本殿

                             【ウィキ ぺディアより転載】

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 手水舎にはってあるのは。。。。。。私の千社札~♪   最近ぜんぜん貼ってないなぁ~

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 湖面にはすごい桜の花びらが。。。。。  

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 風が強かったのか、花弁は散ってしまって岳だけが。。。。  これまた素敵♪

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■撮影日  2011年4月12日(火)
■所在地  桜井市安倍645