奥田の蓮取り行事

 
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 7月7日、七夕の日、市内奥田で、1300年を超える歴史をもつ「蓮取り行事」がおこなわれます。
 室町時代から連綿とおこなわれてきた吉野山金峯山寺(きんぷせんじ)における「蓮華会(れんげえ)」の一連の行事であるとともに、役行者の母・刀良売にまつわる「
ひとつ目蛙」の伝承に深い関わりをもつ行事で、奈良県の無形民俗文化財に指定されています。
 この日、捨篠池(すてしのいけ)では、蓮取り舟に乗って、古式にのっとりおごそかに蓮切りがおこなわれます。その後、善教寺に集まった修験者たちが、勇ましい法螺貝(ほらがい)の音とともに、福田寺・行者堂から、役行者の母・刀良売(とらめ)の墓に蓮花を献じて供養し、続いて、捨篠池に隣接する弁天神社で、護摩法要が営まれます。
 こののち、修験者の一行は、吉野山金峯山寺蔵王堂までの祠(ほこら)に、道中、蓮花を献じながら、蔵王堂での「蓮華会」「蛙とび行事」に参加したのち、これらの蓮花は修験者によって、大峰山頂上までの祠に供えられます。
 吉野山の蓮華会に欠くことのできない奥田の蓮は、今日まで地元の皆さんの努力によって大切に守られてきました。
 また、役行者没後1300年忌の平成12年には、蓮池公園に民話伝承碑が建立されるなど、捨篠池周辺の整備が進められています。
 
                                            大和高田市HPより転載
 
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 午前10時10分。
 
 奥田捨篠池(弁天池)にて蓮取り行事がはじまりました。
 
 
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 塩、米、酒と蓮池を清めます。
 
 
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 金峯山寺に奉納する108本の蓮は、今朝早くに刈り取られたそうです。
 
 行事が終わると、舟を出し、蓮を刈ってくださいます。
 
 
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 一昨年、昨年と蓮の咲く時期が遅れ、ほとんど蓮がなかったそうです。
 
 ことしは天気にも恵まれ、曜日周りも日曜日ということもあり多くの観光客が訪れました。
 
 蓮もご覧の通り、多くの蓮が咲き乱れています。
 
 
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 行事が終わると、休憩ののち善教寺から修験者達が出発です。
 
 
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 善教寺から、刀良売塚へ参拝です。
 
 
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 昔、役小角(行者)の母(刀良売)が、奥田の蓮池で病気を養っているとき、夏のある朝、池の中にまつってある神社に詣でると、白い蓮花が咲いていて、その葉には金色に光った蛙がいました。刀良売は、一本の篠萱を引き抜いて、何気なく蛙に投げつけたところ、それが蛙の目にあたって、目を損じてしまいました。さして、池の中に逃げた蛙は、もとの土色の蛙となって浮いてきました。そして五色の霧も消えてなくなり、一茎二花の蓮も、もとの蓮になってしまいました。それから、この池の蛙は、一つ目であるといわれています。また、この池の蓮は、一本の茎に二個の花をつけた蓮であったので、めでたいとの前兆ではないかとして、朝廷に献じられたこともあったそうです。この異変ののち、この池は捨篠の池と命じられたといいます。
 刀良売は、それから病気が重くなり、42歳で亡くなりました。母を亡くした小角は、心に誓って修験道をひらき、吉野山に入って蔵王権現をあがめ、蛙をまつって追善供養をしました。
以来、毎年7月7日は、吉野の山伏が奥田の行者堂にやって来て、香華を献じ、蓮池の蓮(108本)を摘み、それを大峰山中の拝所に供える蓮華会がおこなわれます。また、この日、吉野の蔵王堂では、「蛙飛び」行事がおこなわれます。
                                             「大和高田市史」より
 
 
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 修験者達は弁天神社に戻り、護摩供養を終え、吉野金峯山寺へ向かうそうです。
 
 
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■撮影日  2013年7月7日(日)