大神神社 観月祭

 
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 今年は中秋の名月と。満月が重なった日。
 
 お天気も、雲一つない絶好のお月見日和となりました。
 
 次の中秋の名月と満月が重なるのは8年後らしい。
 
 
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 祈祷殿前庭ではもう準備ができていました。
 
 
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 お供え物
 
 
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 前庭ではお茶席も。。。。。。
 
 
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 しっかりいただいて参りました。
 
 
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 【祭典次第並奏楽曲】
 
一、参進
一、修祓
一、宮司一拝
一、献饌
一、祝詞奏上
一、俳句披講
一、神楽(浦安ノ舞・奇魂ノ舞)
一、献楽(舞楽蘭陵王
一、玉串拝礼
一、撤饌
一、宮司一拝
一、退下
 
 
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 拝殿から満月が顔を出しました。
 
 
 
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 舞台では『浦安の舞』 『奇魂の舞』が奉納されました。
 
≪浦安ノ舞≫
 1940年(昭和15年)11月10日に開かれる「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で
奉祝臨時祭を行うに当たり、祭典中に奉奏する神楽舞を新たに作ることが立案され、当時の宮内
省楽部の楽長である多忠朝が国風歌舞や全国神社に伝わる神楽舞を下地に作曲作舞した神楽
舞である。
 
 1933年(昭和8年)の昭和天皇御製
天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世をが神楽の歌詞となって
いる。 
 皇紀二千六百年奉祝臨時祭に合わせて奉奏するために、日本全国で講習会が開かれ、海外
鎮座の神社でも奉奏されるべく朝鮮・台湾などの外地へも講師が派遣された。奉祝会当日午前
10時には全国一斉に奉奏された。以降、各神社で舞われるようになり、現在に至っている。
 明治以降整備されてきた神社祭祀制度には、女性による奉仕に関する規定が無かったが、舞の
制定により女性が神社に奉仕する機会が作られた。また、全国規模の講習会と奉奏の徹底は、
社における神楽舞の普及に大きく貢献した。
 なお、浦安の舞などの近代に作られた神楽は、国風歌舞や舞楽、神楽舞を下地に創作された
ものであり、広義では雅楽の延長としても捉えられているが、神社祭祀に特化した新たな創作神楽
であることから、狭義では雅楽と明確に区分される。特に作曲・作舞した多忠朝は、日本神話を根拠
とする神楽舞の重要性、日本文化に於ける神楽の独自性を主張している。
 
                                      ウィキペディアWikipedia)より抜粋
 
 
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蘭陵王(らんりょうおう)≫
 蘭陵王(らんりょうおう)は雅楽の曲目の一つ。管絃にも舞楽にも奏される。別名蘭陵王入陣曲、
短縮して陵王とも呼ばれる。
 管絃演奏時には蘭陵王舞楽演奏時には陵王と表す。
左方(唐楽)に属する壱越調(いちこつちょう)の一人舞で、華麗に装飾された仮面を被る勇壮な
走り舞。 答舞は納曽利(なそり)。
 林邑の僧である仏哲が日本にもたらしたものと言われ、元は沙陀調(さだちょう)であったが日本
で壱越調に転調した。中国風の感じが残ると言われる美しい曲。
 北斉の蘭陵武王・高長恭の逸話にちなんだ曲目で、眉目秀麗な名将であった蘭陵王が優しげな
美貌を獰猛な仮面に隠して戦に挑み見事大勝したため、兵たちが喜んでその勇士を歌に歌ったのが
曲の由来とされている。
 武人の舞らしい勇壮さの中に、絶世の美貌で知られた蘭陵王を偲ばせる優雅さを併せ持つ。
 
                                      ウィキペディアWikipedia)より抜粋
 
 
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 観月祭が終わると、参拝者にお神酒が振る舞われました。
 
 
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 そしてお月見団子も。
 
 
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 今年のお月見は、ほんとうにきれいなお月様を見ることができていい観月祭を楽しませて頂きました。
 
 カメラマンも少なく、いい場所で撮影させて頂いたのですが、なにせ腕が伴わず。。。ご覧のような
写真で、悲しいばかりです。
 
 中秋の名月の日は、多くの場所で『観月祭』が行われており、来年はどこで楽しませてもらおうかと
もう、来年のことを考えています。
 
 
 
 
■撮影日  2013年9月19日(木)