世尊寺

 
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 世尊寺(せそんじ)は、奈良県吉野郡大淀町比曽にある曹洞宗の寺院である。
 古くは比蘇寺(ひそでら)と呼ばれ大規模な伽藍を構えていたが、現在の世尊寺は江戸時代に整備
縮小して再興されたもの。かつての寺域は、1927年(昭和2年)4月8日に「比曽寺跡」として、国の史
跡に指定されている。聖徳太子第7番。
 
                                                    Wikipediaより転載
 
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 この日は彼岸花がきれいにしていました。
 
 
 
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 ≪歴史≫
 古くは、吉野寺、比蘇(比曽)寺、現光寺、栗天奉寺とも呼ばれ、聖徳太子が建立した48か寺の
一つと伝えられている。同寺に残っている瓦や伽藍配置などから、少なくとも飛鳥時代(7世紀後半)
には存在していたようである。 奈良時代には、吉野寺比曽山寺と呼ばれ、後述する現光寺の由来と
なった仏像が安置された。また著名な僧侶・神叡が住み、20年間三蔵を学んで自然智を得たという。
 平安時代には宇多上皇藤原道長などが吉野への参詣の途中に訪れ、大いに栄えたが、その後
は衰退した。 鎌倉時代に入り、1279年(弘安2年)に金峰山から春豪聖人が比蘇寺に移り、再興に
努めた。また西大寺を復興した叡尊の留錫により真言律宗となっている。さらに1337年(南朝:延元
2年、北朝建武4年)には文観が先達となって後醍醐天皇行幸し「栗天奉寺」と命名され、勅願寺
となっている。
 その後、再び衰退し荒廃するが、江戸時代に入って、伽藍を整備縮小し禅宗寺院として、霊鷲山
世尊寺と改め復興し、現在に至る。
 
                                                Wikipediaより転載
 
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文化財
木造十一面観音立像 - 奈良県指定有形文化財(彫刻) 現光寺縁起絵巻 比曾寺跡 - 国の史跡
 
 
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 江戸時代には、松尾芭蕉が訪れて、句を残しています。
       「世にさかる 花にも念佛 まうしけり」
 
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≪現存する東塔≫
 比蘇寺には東塔と西塔があったが、そのうち東塔の三重の塔は、1594年(文禄3年)豊臣秀吉
よって伏見城に移され、さらに1601年(慶長6年)に徳川家康によって近江の園城寺三井寺)に
移建され、現在も残っている。なお、西塔は戦乱により焼失している。
 
                                                     Wikipediaより転載
 
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 世尊寺の境内に神社が。。。。。
 
 
 
 
■撮影日  2013年9月23日(月)
■所在地  吉野郡大淀町上比曾762