東大寺二月堂 修二会(お松明)


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今年の東大寺二月堂のお松明も終わりを迎えましたね。

仕事が忙しいにも関わらず麻薬みたいなもので、気が付くと二月堂に来ている
って感じ。 おかげで今日は自宅でゆっくりとこの2週間の疲れを癒しています。

昨年はカメラマンと東大寺さんで大きな揉め事があったらしく、規制が厳しくなって
いました。(私も一点のくもりも無く、ルールを守っているかと問われると、ごめんなさい
という事もありますが、撮影をさせていただいているのだ、他人様にはご迷惑をお掛けしないようには心がけてはいるのですが。。。。)

ちょっと愚痴が入ってしましましたね。


では、修二会ってなに? という方もおいでになるかと思いますので、修二会に
ついてちょっとお勉強を!


東大寺二月堂 修二会≫
東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始された。以来、平成24年(2012)には1261回を数える。
修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する。
修二会が創始された古代では、それは国家や万民のためになされる宗教行事を意味した。天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、そうした病気を取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事とされた。
東大寺のながい歴史にあって、二度までもその大伽藍の大半が灰盤に帰してしまった時ですら、修二会だけは「不退の行法」として、1250有余年もの間一度も絶えることなく、連綿と今日に至るまで引き継がれてきたのである。
この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになった。また二月堂の名もこのことに由来している。
行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされる。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになった。
12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備える。そして3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、二月堂において修二会の本行が勤められる。
                                            【東大寺 HPより転載】


お松明の撮影スポットはいろいろあります。
全部は周れませんでしたが、今年撮影した場所をご紹介します。

<北側登廊を下から>

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<北側登廊を横から>

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<北側休憩所前から>

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<お堂の北側を下から>

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<北側回廊をお堂内から>

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<南側回廊から北側回廊を望む位置から>

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<最終日の尻つけ松明>

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 まだまだ、撮影スポットは多くあります。

 3月1日~14日まで2週間、お松明は行われますが、仕事もあり毎日通う事
もできませんし、多くのカメラマンで場所取りも辛いもので、なかなか思い通りの
写真も撮ることができなくて。。。。。

 まぁそれが、また二月堂へ行ってしまう魅力なんでしょうね。


 来年も通いますよ~
 写真も満足できる画像を出せるといいのですが。。。。。