駒塚古墳と調子塚古墳 (太子道シリーズ)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

法隆寺から東に、聖徳太子の愛馬「黒駒」と黒駒の世話をしていた調子丸の墓だという
古墳があります。 

現地説明によると、
「駒塚古墳という名前は、聖徳太子の愛馬である黒駒を葬ったとの伝承に由来します。
黒駒は、甲斐国(現在の山梨県)より太子に献上された名馬で、太子はこの黒駒に乗り
斑鳩から飛鳥に通われたと言われています。また、駒塚古墳から南へ約100mの
ところに調子丸古墳という直径14m程度の円墳があり、黒駒の世話をしていた調子丸
の墓の伝承をもっています。 駒塚古墳の発掘調査は、平成12・13.14・16年度の4ヵ年
で行いました。 調査の結果、直径49m以上の前方後円墳で、墳丘は前方部、後円部
共に二段に築かれ、墳丘には葺石が葺かれていることが判明しました。墳丘上部の葺石
は、大半が流失していましたが、下部やくびれ部などで良好に残っている場所がありま
した。 埋葬施設は、後円部で墓壙の輪郭を確認しました。埋土に乱れが無いため未盗
掘墳の可能性があります。 出土遺物では、埴輪はほとんどなく、赤色顔料を塗布した
二重口縁壺の破片が少量出土しました。 築造時期は出土遺物が少なく断定はできませ
んが、墳丘形態などからこれまで考えられていた中期(5世紀代)よりは少し古い4世
紀後半頃の古墳である可能性が高まりました。駒塚古墳は、黒駒埋葬の真偽はともかく
聖徳太子にまつわる名前をもった斑鳩らしい古墳といえるでしょう。



■撮影日  2007年7月24日(日)