上宮遺跡と「飽波宮」伝承地 (太子道シリーズ)

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前回ご案内した成福寺の北側すぐに、上宮遺跡があります。
上宮遺跡は公園化されており、夕涼みや犬の散歩する方が目に付きます。

現地説明板より

上宮遺跡と「飽波宮」伝承地

平成3年度に斑鳩町教育委員会により、上宮遺跡の発掘調査が行われました。
その結果、奈良時代の大型の堀立柱建物群が発見されました。さらに、平城宮で使
われたものと同じ氾型で作られた軒瓦が多数出されました。このことは、上宮遺跡
が当時の朝廷と深い関係にあった遺跡といえます。
当公園の南に成福寺がありますが、この周辺は「大安寺伽藍縁起」にみえます、
聖徳太子が晩年過ごした「飽波葦餓垣宮」の伝承地です。一方、「続日本紀」には、
称徳天皇(在位764~770)が、神護景雲元年(767)に「飽波宮」に行幸し、二日間滞在
したとあります。さらに神護景雲3年(769)にも河内内義宮へ向う途中に立ち寄
ったとありますので、飽波宮は常設の行宮があったようです。
これらのことから、上宮遺跡が奈良時代の飽波宮跡である蓋然性が非常に強
飛鳥時代の「葦垣宮」も将来、周辺で発見される可能性が高まっています。




■撮影日  2007年7月24日(日)