飽波神社 (太子道シリーズ)
斑鳩から安堵に入ると、飽波宮があったとされる飽波神社があります。
飽波神社(アクナミジンジャ)
祭神はスサノオミコト。江戸時代には牛頭天王社と称した。聖徳太子の
飽波宮跡と伝えられる。 安堵庄総社で、江戸時代以後には東西両安堵村の
氏神となる。 神殿は春日造り・檜皮葺。境内末社は、住吉・水分・神明
春日社。 雨乞の南無手躍りが奉納され、その衣装は現在、県文化財と
指定されている。
現地案内板より
御幸石
太子が飛鳥の橘宮から斑鳩へ向かわれる道筋で、突然春風が吹き、雨が
降り、水は満々と道にあふれんばかりになろうとした時に、ここから
とも知れず何万羽もの雀が飛来して太子の前を舞い、太子がその様子を
大変喜ばれたといいます。 その後、当社では雀を使して保護するように
なったということです。
この御幸石は聖徳太子が太子道を通られる時、お座りになったと伝え
られています。 また、本殿の裏には影向石と呼ばれる聖徳太子ゆかりの
石も伝えられています。
現地案内板より
おもしろい瓦でしたので、奈良の日々様の真似をして撮ってみました。
飽波神社(アクナミジンジャ)
祭神はスサノオミコト。江戸時代には牛頭天王社と称した。聖徳太子の
飽波宮跡と伝えられる。 安堵庄総社で、江戸時代以後には東西両安堵村の
氏神となる。 神殿は春日造り・檜皮葺。境内末社は、住吉・水分・神明
春日社。 雨乞の南無手躍りが奉納され、その衣装は現在、県文化財と
指定されている。
現地案内板より
御幸石
太子が飛鳥の橘宮から斑鳩へ向かわれる道筋で、突然春風が吹き、雨が
降り、水は満々と道にあふれんばかりになろうとした時に、ここから
とも知れず何万羽もの雀が飛来して太子の前を舞い、太子がその様子を
大変喜ばれたといいます。 その後、当社では雀を使して保護するように
なったということです。
この御幸石は聖徳太子が太子道を通られる時、お座りになったと伝え
られています。 また、本殿の裏には影向石と呼ばれる聖徳太子ゆかりの
石も伝えられています。
現地案内板より
おもしろい瓦でしたので、奈良の日々様の真似をして撮ってみました。