額安寺 (太子道シリーズ)

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前回紹介しました推古神社のすぐ西側に、額安寺があります。

現地の説明板には

額安寺(かくあんじ)

聖徳太子は、ここに学問修行の道場(熊凝の精舎を建てられ、叔母君推古天皇は、
この精舎に寺号《額安寺》を賜ったと伝えられています。
このあたりは古代水運の要所で、外国使臣や文物の上陸場所であり額安寺は、
その受け入れ口に規模壮大な七堂伽藍を備えた寺院として臨んでいました。
しかし時と共に衰頽し、鎌倉時代には僧忍性等によって一時復興されましたが、
のち兵火のため講堂一宇(今の本堂)を残すのみとなってしまいました。
昔日の俤は失われましたが、額安寺の根本本尊は日本最古の虚空蔵菩薩として
極めて価値高く著名であり、奈良時代の法灯は連綿と今に受け継がれています。
 
                       平成五年10月 大和郡山市

大和郡山市指定文化財(建造物)
額安寺宝篋印塔(かくあんじほうきょうういんとう)

花崗岩製、高さは約283cm。均整のとれた装飾的に優れた古塔で
塔身には、種子(梵字)を彫りこみます。基礎の格狭間には「文化
元年十月十五日願主永弘」「大工大蔵安清」と刻まれています。
鎌倉時代中期、文応元年(1260)に永弘という人が発願し、
大蔵安清という石工につくらせたことがわかります。銘文のある
宝篋印塔では実に、全国でも三番目の古さです。
                     
                    2002年3月 大和郡山教育委員会