島の山古墳 (太子道シリーズ)
所在地は、磯城郡川西町大字唐院字嶋ノ山
伝説では、蘇我入鹿の墓。応神天皇の妃の一人、糸井媛という説もあります。
規模は、全国で40番目。 奈良県下の前方後円墳300基の中では21番目。
【現地説明板より】
島の山古墳
この古墳は、奈良盆地中央の平坦部、寺川と飛鳥川の間の沖積徴高地上に営まれた、
南南東に前方部をむける三段築成の前方後円墳である。墳丘長約195m 後円部径
約105m 周高約15m 前方部幅約100m 周高約10mの規模をもち、
前方部は後円部に比べて低いが、その幅は後円部径近くまで広がっている。
周囲に全長約270m 前方部前面の幅約180mの楯形の周濠をめぐらす。
墳丘上には円筒埴輪、葺石が存在する。埋葬施設については不明であるが、大形の
碧玉製車輪石や鍬形石が出土しており、他に、鏡片、垂下式耳飾、石製刀子、玉類の
出土が伝えられている。墳形、周濠、出土遺物などからみて、五世紀前半の築造と
考えられる。
この古墳の南方には、黒田大塚古墳を南限として、全長50m前後の前方後円墳群
数基をいくつかの古墳が存在する。本墳は、この式下古墳群の中心的存在として
注目されるものである。
奈良県教育委員会
伝説では、蘇我入鹿の墓。応神天皇の妃の一人、糸井媛という説もあります。
規模は、全国で40番目。 奈良県下の前方後円墳300基の中では21番目。
【現地説明板より】
島の山古墳
この古墳は、奈良盆地中央の平坦部、寺川と飛鳥川の間の沖積徴高地上に営まれた、
南南東に前方部をむける三段築成の前方後円墳である。墳丘長約195m 後円部径
約105m 周高約15m 前方部幅約100m 周高約10mの規模をもち、
前方部は後円部に比べて低いが、その幅は後円部径近くまで広がっている。
周囲に全長約270m 前方部前面の幅約180mの楯形の周濠をめぐらす。
墳丘上には円筒埴輪、葺石が存在する。埋葬施設については不明であるが、大形の
碧玉製車輪石や鍬形石が出土しており、他に、鏡片、垂下式耳飾、石製刀子、玉類の
出土が伝えられている。墳形、周濠、出土遺物などからみて、五世紀前半の築造と
考えられる。
この古墳の南方には、黒田大塚古墳を南限として、全長50m前後の前方後円墳群
数基をいくつかの古墳が存在する。本墳は、この式下古墳群の中心的存在として
注目されるものである。
奈良県教育委員会