吉野水分神社(ヨシノミクマリジンジャ) 吉野山

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 金峯神社から下ると右手に吉野水分神社が現れます。この神社は創立当時は
「水を程よく田畑に配る神様」であったが、「水分」が「こもり」と転訛し
「子供を授ける神様」になったと言われています。
 また、ここの本殿は、三つの社殿を一つに棟につないだ珍しい建築様式で
水分造りと呼ばれています。

 神社の宝物としては、釣燈籠・神輿・湯釜など秀頼寄進の銘のあるものがあります。

住所 吉野郡吉野町吉野山1612  tel 07463-2-3012

祭神 主神 天水分命
   右殿 天万栲幡千々姫命、玉依姫命、瓊々杵命
   左殿 高皇産霊神少彦名神御子神

 【現地説明板より】   由緒 沿革

 創立年代は不詳ですが1千年前の延喜式神名帳にすでに大月次新賞に案上官幣に
預る旧社にて大和四所分水の第一として記され吉野八大神社の一社で俗に子守
大明神と申されます。

 水分とは「水配」の意味で水を程よく田畑に配分する神様で毎年4月3日に
五穀豊穣を祈る御田植祭が盛大に行われ、その神事は吉野町無形文化財として
指定されています。

 当神社が子守の神になった事については、「水分」が「みくまり」「みこもり」
「こもり」と転訛し子供を護る神、子供を授ける神になったといわれています。
 当神社の本殿は祭神七柱を三つの社殿に奉祀しその三つの社殿を一つの棟に
つないだ珍しい建築様式水分造りと申されます。

 現在の建物は豊臣秀吉が文禄3年に吉野山へ花見に来られた時、当神社に祈願して
秀頼が授かりそのお礼として慶長3年に再建の工を起こされた後、秀頼が父秀吉の
意志をつぎ建部内匠頭光重を奉行として慶長9年9月に完成されたもので華麗かつ
精巧を極めた桃山時代の代表的神社建造物として建物全部が国の重要文化財として
指定されています。

 神社の宝物としては、重文の釣灯籠・神輿・湯釜等、秀頼寄進の銘あるものが
社殿に置かれています。

 御祭神の玉依姫命の御神像は日本第一の美女神像といわれ国宝に指定されています。

 国学の秦斗として有名な本居宣長はこの子守の社の申し子として名高く宣長の著
である菅笠日記にこの事がよく書かれています。

 今も子供を授ける神、子供を護る神、安産の守護神として世間の信仰を集め
全国各地の参詣が絶えません。

 宣長翁が当社へお礼参りの折に詠まれた歌に

   みくまりの神誓いの なかりせば
       これのあが身は 生まれこめやも
   ちちははの昔想えば 袖ぬれね
       みくまり山に 雨はふらねど

1枚目の写真は、鳥居と楼門
2枚目の写真は、楼門から境内(奥に神輿が安置)
3枚目の写真は、本殿
4枚目の写真は、境内から楼門

撮影日 2007年9月28日