本薬師寺

薬師寺(もとやくしじ)

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【現地説明板より】 特別史跡 本薬師寺
 本薬師寺は『日本書紀』によると、天武九年(六八〇)年に天武天皇が皇后(持統天皇
の病平癒を祈念して発願された寺です。寺の建立が開始された時期は不明ですが、天武天皇
崩御後の持統二(六八八)年(『続日本紀』)と伽藍はほぼ完成したと伝えられています。
 寺城は藤原京右京八条三坊を占めていましたが、平城京遷都に伴い養老二(七一八)年と
平城右京六条二坊に移転されたことが『薬師寺長和縁起』によって知ることができます。
中右記』によると、寺が移転した後も平安時代中頃まで伽藍の存在が確認できます。
また、この頃には平城京薬師寺に対して本薬師寺と呼び、区別するようになりました。
伽藍は、中心に金堂、その前面、左右対称に東・西塔を配置し、南に中門を開きその両翼
から回廊を巡らせ金堂北側の講堂に取付くいわゆる薬師寺式伽藍配置と呼ばれるものです。
 発掘調査は1976年の寺域西南隅での調査に始まり、金堂・東塔・西塔・中門・回廊の
一部で行われ、貴重な成果が得られました。金堂・東塔・西塔は、基壇等の規模が平城京
薬師寺とほぼ同じである一方、中門・回廊は規模・構造ともに異なることが明らかになり
ました。伽藍の造営は金堂に始まり、続いて東塔・中門・回廊・更に遅れて西塔の順に
行われたことが分かりました。また中門北側の調査で寺の造営土の下層から西三坊々間路
を検出し、最初に藤原京の条坊道路が設置され、それを埋め立てて造営したことが確認され
ました。従来は堂塔の位置関係や礎石配置が平城京薬師寺と一致することから移建説が有力
視されていましたが、発掘調査により一部の堂塔は移建されていないまま旧地に残っていた
可能性があることが判明しました。以上のように、白鳳時代を代表する遺跡として本薬師寺
跡の占める位置は極めて大きいものといえます。
                                橿原市教育委員会

薬師寺境内

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東から見た本薬師寺

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ホテイアオイ

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休耕田に水を張り、育てられています。 見頃は8月・9月です。 
一面のホテイアオイは、一見の価値があります。


撮影日 2007年6月19日(火)/2007年9月16日(日)