葛城一言主神社
境内へ続く階段
【御所市観光ガイドより】
一言主神社は、願いを一言だけ聞いてくれる「いちごんさん」として地元の人から親しまれています。
祭神は、古事記や日本書紀の中に見える事代主命です。
雄略天皇が葛城山で狩をしている時、この神は天皇と同じ姿で現れ、天皇が「お前は何者だ」と
問いかけたところ、「私は善事も悪事も一言で言い放つ神である」と申されました。天皇はひれ伏し、
その後、共に狩を楽しみ、神は久米川(現曽我川)まで天皇を送って行ったという事です。しかし、
続日本書紀によれば雄略天皇と狩の事でいさかいを起こし、四国の土佐に流されたという事です。
土佐風土記によれば、その後許されて葛城の高宮付近に祀られたと記されています。
また、今昔物語に登場する一言主神は顔が醜くかったと伝えられ、葛城の怪人と言われた役行者は、
修行のため、葛城山と吉野の金峯山の間に岩橋を架けるため、諸神を集めて、架橋工事をさせますが、
一言主神は顔が醜かったため、昼は働かず夜しか働かなかったので、石橋は完成しませんでした。
役行者は怒って、近くの小川のそばの大木に一言主大神を縛り付けてしまったという事が記されて
います。
また本社境内には、神武天皇紀に記述がある土蜘蛛に関係しているとされてる蜘蛛塚があります 。
銀杏
【現地説明板より】
幹の途中から乳房のようなものがたくさん出ており、「乳イチョウ」「宿り木」と呼ばれている。
この木に祈願すると子供の授かりお乳がよく出ると伝えられており、古くから親しまれてきた。
白い蛇が住みついているといわれ人々の信仰を集めている。
この銀杏はとても有名で、紅葉の季節はほんとすばらしい光景を演出してくれます。
2008年の紅葉は、しっかりカメラに収めてUPしようと思います。
【現地説明板より】 謡曲 「土蜘蛛」と蜘蛛塚
僧呂の姿に化身して源頼光の病気見舞に行った害悪の権化土蜘蛛は、見破られると、汝知らずや
我むかし葛城山に年を経し土蜘蛛の精魂なり」と大見栄を切り、千筋の糸を投げかけて頼光を巻き
殺そうとした。 頼光は枕元の膝丸の名剣で切りつけ、四天王渡辺綱たちは血の跡を追い蜘蛛の
棲家をつきとめて遂にこれを退治した。 その所に「頼光朝臣塚」の碑があり謡曲はこの説話を
もとにして作られたものである。
後世、その塚の辺りから発掘された筒石を庭に置くと、家運は傾き、病人が続出する有様と、
またもや土蜘蛛灯籠として供養すると騒ぎは治まったという。
そのように京で暴れた土蜘蛛も、今はもとの大銀杏の木陰の棲家で静かに眠っている。
2008年の紅葉は、しっかりカメラに収めてUPしようと思います。
土蜘蛛
【現地説明板より】 謡曲 「土蜘蛛」と蜘蛛塚
僧呂の姿に化身して源頼光の病気見舞に行った害悪の権化土蜘蛛は、見破られると、汝知らずや
我むかし葛城山に年を経し土蜘蛛の精魂なり」と大見栄を切り、千筋の糸を投げかけて頼光を巻き
殺そうとした。 頼光は枕元の膝丸の名剣で切りつけ、四天王渡辺綱たちは血の跡を追い蜘蛛の
棲家をつきとめて遂にこれを退治した。 その所に「頼光朝臣塚」の碑があり謡曲はこの説話を
もとにして作られたものである。
後世、その塚の辺りから発掘された筒石を庭に置くと、家運は傾き、病人が続出する有様と、
またもや土蜘蛛灯籠として供養すると騒ぎは治まったという。
そのように京で暴れた土蜘蛛も、今はもとの大銀杏の木陰の棲家で静かに眠っている。
撮影日 2008年1月15日(火)