桧原神社
とても好きな景色の一つです。 真正面には二上山が見え、夕日が沈む光景はなんともいえない綺麗な景色につつまれます。
(元伊勢)桧原神社と豊鍬入姫宮の御由諸 大神神社の摂社「桧原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮」(向かって左の建物)は 崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。 第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿」でお祀りされていま した。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代斎主)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑」 に「磯城神蘺」を立ててお祀りされました。その神蹟は実にこの桧原の地であり、大神神の伊勢 御遷幸の後もその御蹟を尊崇し、桧原神社として大神神を引続きお祀りしてきました。 そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。 桧原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居 を有していることが室町時代以来の古図に明らかであります。 萬葉集には「三輪の桧原」とうたわれ山の辺の道の歌枕となり、面につづく桧原台地は大和国中 を一望できる景勝地であり、麓の茅原・芝には「笠縫」の古称が残っています。 また「茅原」は日本書紀崇神天皇七年条の「神浅茅原」の地とされています。更に西方の箸中には 豊鍬入姫命の御陵と伝える「ホケノ山古墳(内行花文鏡出土・社蔵)」があります。 大神神社 【現地説明板より】
平窯跡
桧原神社平窯跡 鎌倉末期から室町時代(十四世紀)にかけての平窯、昭和六十二年七月の発掘調査で検出された。 焼成室の底部しか残っていないが、窯の全体規模に幅約八十センチ、長さ約百六十センチをはかり幅と長さは一対二の比率になっている。火道は三年で、火道があいたのは畦には平瓦片と粘土が交互に積まれている。 瓦窯とみられるが、室町時代の瓦器(かき)碗が周辺部で以前に出土し、今回もその破片が出土していることから同時に瓦器を焼成した可能性も考えられる。 中世の桧原神社とかかわりの深い遺構であろう。 大神神社 【現地説明板より】
■撮影日 2007年12月10日(月) / 2008年3月27日(木)