室生寺


 室生寺略縁起
 奥深い山と渓谷に囲まれた室生の地は、太古の火山活動によって形成された室生火山帯の中心部で、こうした幽邃な場所は古くから神々の坐ます聖地と仰がれていた。やがて奈良時代の末期、この聖なる地で皇太子山部親王(後の桓武天皇)のご病気平癒の祈願が興福寺の高僧賢憬など五人の高徳な僧によって行われ、これに卓効があったことから、勅命により国家のために創建されたのが室生寺である。
 だが建立の実務に当たったのは、賢憬の高弟修円であった。 修円は最澄空海と並んで当時の仏教界を指導する高名学僧であった。 以来室生寺は、山林修行の道場として、また法相・真言・天台など、各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成するとともに、平安前期を中心とした数多くの優れた仏教美術を継承する一方、清冽な渓流は竜神の信仰を生み、雨乞いの祈願も度々行われて来た。
 そのほか厳しく女人を禁制してきた高野山に対し、女人の済度をもはかる真言道場として女性の参詣を許したことから『女人高野』と親しまれている。

境内図
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太鼓橋
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表門
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仁王門
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阿形・吽形
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金堂
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 金堂(平安初期・国宝)は、正面側面ともに五間の単層寄棟造りコケラ葺き。 内陣には、堂々とした一木造りの御本尊、釈迦如来立像(平安初期・国宝)を中心に、向かって右側に薬師如来像、地蔵菩薩像(平安初期・重文)、十一面観音菩薩像(平安初期・国宝)の各像が並び、その前に運慶の作と伝えられる十二神将像(鎌倉時代・重文)が一列に並べられている。
 特に左側に立つ華麗な十二面観音像は、ほぼ等身大の一木造りの像で、作風は本尊に近く洗練された感覚と技巧の作として注目される。
 本尊の背後にある大きな板壁には、珍しい帝釈天曼荼羅図(平安初期・国宝)が画かれている。

弥勒堂(鎌倉時代・重文
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 三間四方柿葺のこの堂は、修円が興福寺の伝法院を受け継いだものと伝えている。内部の須弥壇に安置された本尊の厨子入り弥勒菩薩立像(重文)は、平安時代初頭の優品で、脇壇には明快な衣紋が見事な、客仏の釈迦如来座像(国宝)が安置されている。

五重塔平安時代初期・国宝)
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 総高十六・一メートルと、屋外に建つ五重塔では最小のもの。勾配がゆるく軒の出の深い檜皮葺の屋根は、朱塗りの柱や白壁と心地よい対照を保つ。平安時代初頭の建立と云われ、室生山中最古の建築である。 この塔は頂上の相輪が珍しく、九輪の上には普通ならば水煙であるのに、これは宝瓶を載せて宝鐸を吊りめぐらして天蓋を作ってあることなど、他に類がない塔である。 平成十年、台風により大きな損傷を蒙ったが、平成十二年に修復、落慶した。

奥の院 位牌堂
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地獄絵
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奥の院 御影堂
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 五重塔から奥へ、原生林にかこまれた胸突きの石段を登ると、舞台造りの位牌堂と弘法太子四十二才の像を安置した御影堂(鎌倉時代・重文)の前に出る。方三間の単層宝形造、厚板段葺で頂上に石造りの露盤が置かれているのがめずらしく、他に例を見ない建物である。


 紅葉を楽しみに行ったのですが、仁王門の周りだけでまだ少し早かったようです。



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室生寺の紅葉  http://blogs.yahoo.co.jp/a02221370209/46056108.html




■撮影日  2008年11月10日(月)
■所在地  宇陀市室生78