室生寺
室生寺略縁起
奥深い山と渓谷に囲まれた室生の地は、太古の火山活動によって形成された室生火山帯の中心部で、こうした幽邃な場所は古くから神々の坐ます聖地と仰がれていた。やがて奈良時代の末期、この聖なる地で皇太子山部親王(後の桓武天皇)のご病気平癒の祈願が興福寺の高僧賢憬など五人の高徳な僧によって行われ、これに卓効があったことから、勅命により国家のために創建されたのが室生寺である。
だが建立の実務に当たったのは、賢憬の高弟修円であった。 修円は最澄や空海と並んで当時の仏教界を指導する高名学僧であった。 以来室生寺は、山林修行の道場として、また法相・真言・天台など、各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成するとともに、平安前期を中心とした数多くの優れた仏教美術を継承する一方、清冽な渓流は竜神の信仰を生み、雨乞いの祈願も度々行われて来た。
そのほか厳しく女人を禁制してきた高野山に対し、女人の済度をもはかる真言道場として女性の参詣を許したことから『女人高野』と親しまれている。
奥深い山と渓谷に囲まれた室生の地は、太古の火山活動によって形成された室生火山帯の中心部で、こうした幽邃な場所は古くから神々の坐ます聖地と仰がれていた。やがて奈良時代の末期、この聖なる地で皇太子山部親王(後の桓武天皇)のご病気平癒の祈願が興福寺の高僧賢憬など五人の高徳な僧によって行われ、これに卓効があったことから、勅命により国家のために創建されたのが室生寺である。
だが建立の実務に当たったのは、賢憬の高弟修円であった。 修円は最澄や空海と並んで当時の仏教界を指導する高名学僧であった。 以来室生寺は、山林修行の道場として、また法相・真言・天台など、各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成するとともに、平安前期を中心とした数多くの優れた仏教美術を継承する一方、清冽な渓流は竜神の信仰を生み、雨乞いの祈願も度々行われて来た。
そのほか厳しく女人を禁制してきた高野山に対し、女人の済度をもはかる真言道場として女性の参詣を許したことから『女人高野』と親しまれている。
金堂
特に左側に立つ華麗な十二面観音像は、ほぼ等身大の一木造りの像で、作風は本尊に近く洗練された感覚と技巧の作として注目される。
本尊の背後にある大きな板壁には、珍しい帝釈天曼荼羅図(平安初期・国宝)が画かれている。
弥勒堂(鎌倉時代・重文
五重塔(平安時代初期・国宝)
奥の院 位牌堂
奥の院 御影堂
紅葉を楽しみに行ったのですが、仁王門の周りだけでまだ少し早かったようです。