丹生川上神社下社

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□所在地  吉野郡下市町長谷1-1
主祭神  闇龗神
社格等  式内社名神大)・二十二社官幣大社別表神社
□創建   白鳳4年(676年)
□例祭   6月1日

 丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)は、奈良県吉野郡にある神社である。

 本来は1つの神社であるが、明治以降、歴史的経緯により上社・中社・下社の3つの「丹生川上神社」が

できた。上・中・下は神社の格の上下や所在地の位置関係を表すものではない。式内社名神大社)・二

十二社の一社であり、明治以降の3社はどれも官幣大社別表神社である。本項では3つの丹生川上神社

ついて説明する。

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□祭神
 3社とも主祭神は水神である。大正時代に祭神の変更があり、現在の祭神となった。
□歴史
 天武天皇の時代の白鳳4年(676年)、「人声聞えざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を

降らし霖雨を止めむ」との神託により、丹生川の川上に雨水の神を祀ったのに始まると伝える。

 貴布禰社とともに祈雨・止雨の霊験が高いとされ、朝廷から厚い崇敬を受け、延喜式では名神大社に列

格、また、二十二社の一社にもなっている。しかし、応仁の乱以降、奉幣が中止されてからは次第に衰微

し、江戸時代に入ったころには丹生川上神社の所在自体がわからなくなってしまっていた。

 江戸時代以降、各地の式内社の考証が盛んになり、丹生川上神社については長谷の丹生川沿い(南芳野

村大字丹生、今の下市町長谷)にある丹生大明神(現在の下社)に比定する説が有力となった。

 明治4年1871年)、丹生大明神が正式に官幣大社丹生川上神社と認定された。 しかし、895年(寛平

7)の古い記録(太政官符の丹生川上神社の四至記載)による所在地の記載と異なるとして異論が上が

り、『大日本史』の記載に従って、明治7年(1874)に川上郷迫村(今の川上村)の地、吉野川上流沿いの

高龗神社(現在の上社)が丹生川上神社・奥宮に認定された。明治29年(1896)には、それまでの丹生川上

神社を下社、奥宮を上社に改めた。 さらに、大正時代に入って森口奈良吉が、高見川流域の東吉野村

郷社の蟻通(ありどおし)神社(雨師明神)が本来の丹生川上神社であると主張し、これが認められたこ

とで、蟻通神社を丹生川上神社中社とした。この中社の四至が太政官符の記載と一致し、古代の丹生川上

神社であることが明確になった。 この際、中社の祭神を罔象女神に、上社を罔象女神から高龗神に、下

社は高龗神から闇龗神に改めた。

 戦前は、3社で1つの神社としていたが、戦後は分離独立し、それぞれが宗教法人格を取得した。

 その際、中社は正式名称から「中社」を取った「丹生川上神社」として法人格を取得している。

 平成10年(1998年)3月、丹生川上神社上社が大滝ダムの建設に伴い水没予定地内に入ったため、山の

中腹に遷座した。旧境内地の発掘調査により、旧本殿の下から11世紀末以前とみられる祭壇跡が出土して

いる。

 なお、下社の旧称の「丹生大明神」は、現在は丹生都比売神社の祭神である丹生都比売神のことである

とする説がある。
                   【フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)より抜粋】

いのちの水
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産霊石(むすびのいし)・蛙石・牛石
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紅葉に包まれた、丹生川上神社下社
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 御手洗渓谷からの帰り道、紅葉がきれいな神社が目に入って立ち寄ることに。

 駐車場には、『日本最古の水の神』と書かれたのぼりが何本も立てられていました。

 境内に入ると、一面落ち葉が敷き詰められていて、何ともいえない光景が。。。。

 誰一人いない境内。時間が止まったような不思議な世界がここだけあるような。。。

 



■撮影日  2008年11月17日(月)
■所在地  吉野郡下市町長谷1-1
■機材   EOS-40D EF-S 17-85mm F4-5.6 IS USM