史跡 益田岩船

橿原ニュータウン内にある、岩船への入り口
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説明版
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岩船
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 益田岩船(ますだのいわふね)は奈良県橿原市白橿町にある花崗岩の巨大な石造物。
 つくられた時期や目的などは不明で、亀石・酒船石などと並ぶ飛鳥の謎の石造物の一つで、その中でも最大のものである。

■所在地
 奈良県橿原市の橿原ニュータウン内、白橿南小学校の西の丘陵(岩船山)の頂上付近にある。
 かつては岩船から東へ約200メートルの白橿近隣公園内の沼山古墳などからも山の上にある岩船を目視できたが、現在は竹林におおわれ困難である。

■形状
 東西約11メートル、南北約8メートル、高さ約4.7メートル(北側)の台形状で、東西の側面はほぼ垂直に切り立っている。上部から側面にかけて幅1.6メートルの溝が東西に掘られている。
 この溝に1辺1.6メートル深さ1.3メートルの方形の穴が、1.4メートルの間隔を開けて二つくり抜かれている。岩の重さは約160トンと推測され、かつては他から運ばれて来たという説もあったが、現在では最初から今の場所にあったと考えられている。また、下部には深さ10センチほどの格子状の溝が彫られているが、表面を平にするための加工法と見られる。

■建造時期・用途
 文献などが残っておらず確かなことは不明で、いくつかの説があげられている。

 ・益田池の造築を讃えた、弘法大師の書による巨大な石碑の台石。
  最も古くからある説で、上にのっていた碑は高取城築造のさいに石垣をつくるための用材として破砕  されたという伝説がある。
 ・占星術のための天体観測台
  二つの穴に石柱を建て、その上に横柱を渡して星を観測したという説。
 ・火葬墳墓
  穴の中に遺骨を入れて石の蓋をするという説。
 ・横口式石槨の古墳
  横口式石槨の建造途中で石にひびが入っていることが分り放棄されという説。
  その後別の石を使って完成したものが、岩船から南西へ500メートルほど行ったところにある牽牛子  塚古墳であるという。東側の穴と違って、西側の穴には水がたまらない事からも亀裂が入っている事  がわかる。現在では最も有力視されている説だが、決定的な証拠は無い。

                   【フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)より抜粋】


 1枚目写真の入り口から入ります。 最初は階段がありますが、すぐに地道になります。

 岩船までは10分もかかりませんが、道が悪く急な上り坂ですのでご注意ください。

 特に中腹あたりはロープがかけられていますので、ロープを利用すると登りやすいですよ。

 頂上付近にポツンと巨大な岩が現れます。結構見晴らしのいいところにあるので、明日香方面は一望で

きます。以前ネットで、この上に人が立っている写真をみた記憶があり、『登ると危険』らしき立て看板

もあったので、はは!助走をつけて岩船に飛びついたのですが。。。。。

 結構角度があって、滑りやすいんですよね。 上まで登れず、カメラを抱えたまま転び落ちてしまいま

した。。。。 ほんと、危うく大怪我をするとこでした。

 ほんと年なのか、体がついてこないんですよね。  情けなや。情けなや。。。。

 



■撮影日  2008年11月27日(木)
■所在地  橿原市白橿町