橿原市地黄町の『すすつけ祭り』
・ 野神(農神塚)に雨乞い・豊作を祈る大和地方によく見かける習俗です。
・5・6月に、野神塚や祭りの形態は多様ですが、ワラで作ったジャ(蛇)を子供たちが
野神塚まで担いで行き、塚に住むといわれる巳(ミ)さんに参拝し、豊作祈願をする・5・6月に、野神塚や祭りの形態は多様ですが、ワラで作ったジャ(蛇)を子供たちが
習俗が多いようです。
・村(当時)の子供が成長するにつれ、順次祭りに自主参加するような仕組みになってお
り、祭りを楽し みながら農村の伝統や村民との融和を学び、協調して農業後継者に育つようにとの願いが込められています。
・橿原市の八木周辺は、都市化・住宅化が進んでいますが、周辺に点在する(旧)農村地
区では、種々の「野神祭り」が継承されています。 <伝統的内容>
・大きい子が、パンツ1枚になった小さい子を追いかけて墨を体中につけて回ります。真っ
黒に付けるほど豊作になるといい、頑張って逃げ回っても最後には、全身が真っ黒になるまで墨をつけます。
・参加した子は当屋(氏神:人麿神社の年当番)の家に泊り、お小遣いももらえます。
・子供(男子)の節句も兼ねており、毎年5月4日の午後から5日にかけて行われています。
・4日午後、子供が村を回りかまどのススを集め、水と油で練って墨をつくります。
ンツ1枚の裸になって、つけられ役となります。 ・子供(男子)の節句も兼ねており、毎年5月4日の午後から5日にかけて行われています。
・4日午後、子供が村を回りかまどのススを集め、水と油で練って墨をつくります。
次に、綿を布に包んで人頭大の球にし、棒の先に付けてスミ付け棒を作ります。
・大きい子の(高学年から中学生)5人程度がつけ役となり、小さい子(幼稚園児~)がパ
・準備が終わると、当屋の門口からスミ付けを開始します。村中(田畑にまでも)逃げまわ
りますが、最後は人麿神社の境内に追い込んで、体中にスミを塗りつけます。
・夜、子供は野神に奉納する絵馬に農耕作業の牛馬や鋤・鍬などの農具の絵を描きます。
で野神参りに出発します。
また、大人は、ワラで5m大のとぐろを巻いたジャ(蛇巻)を作ります。
・翌5日の早朝4時に、宿泊(お籠り)した子供と保存会役員は、ジャや絵馬、お供えを担い
・行きは声を立てないよう静かに行進しますが、お参りを済ませた帰り道は子供達は大声で
「ノーガミさんオークッタ(送った)、ジージもバーバも 早よ 起きよ!」と囃子ながら元気良く戻ってきます。
・村のジジババは、元気な声を聞いて次世代の子供達が農業繁栄の役目を果たした宣言と受け
をねぎらいます。
取り、喜び祝い合います。
・当屋では子供を迎え、お昼をご馳走し、参加してくれた子供達にお小遣いを配ってその役目
【保存会パンフレットより】
15分早く、行事ははじまりました。 主役のはだかの子供達が、当屋の家に向かいます。
当屋の玄関先に用意されていた杯を壊し、祭がはじまります。
はだかの子供達は、磨呂神社に向かいすみつけがはじまります。
最年少の子供。。。。。 お祭前は、観光者の前で愛嬌を振る巻いていましたが、はじまると泣いちゃ
いまして、お母さんと一緒に公民館に隠れちゃいましたよ。
すみつけがはじまります。 ちょっと今年の子供はおとなしいのかな???
こんなパンツの子もいました。
やっぱ、子供の笑顔はいいもんです。
これこれ、終盤は砂遊びする子も。。。。。。
時代でしょうか? 子供達もおとなしくて、走り回る子もチラホラ。。。。。
昔は、村中に逃げ回りすみつけを楽しんだそうです。
子供達の笑顔の写真を撮ってみたものの、何故かひとりの男の子の笑顔ばかり。。。。。
報道の方や、カメラマンの方も子供達にポーズを依頼したり。なんか違うような?
これも時代なんでしょうね。