シャカシャカ祭り

 
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 天気予報では雨。
 
 なのにお天気はご覧の通り青空が見えるちょっと変なお天気でした。
 
 着くと、大蛇を祀るヨノミの木に蛇が。。。。。。。
 
 これは奇遇ですね。 もしや大蛇だったのかも。。。。。。。
 
 
 
 では、集会所で頂いた行事の説明がありますのでここに転機します。
 
 上品寺町-シャカシャカ祭り
 
 県下における最も有名なノガミ祭りの一つで、古くは旧暦の5月5日に行ったが、現在
は6月5日に行われている。
 元は、ムラの北端の北口の池にノガミ塚があったが、道路建設(中和幹線道路)のた
め新池(集会所建設のため埋め立てられた)の南のヨノミの木でまつっている。昔は麦薬
(今は稲薬で頭屋が準備)を、7才から15才くらいまでの子供たちが持ち寄り、5m程の
ジャをつくった。 ジャは子供たちによって担ぎ出され、北口の池・南口の池に運ばれ、
水に漬けて水を飲ませる所作を行う。 そして新池に行き、子供たち共々池に漬けられ、
戯れる。 その後、池の南のヨノミの木に登った格好で木に巻きつけて納められる。
 ヨノミの根元に御神酒や粽(ちまき:ヨシの葉に包む)などを供え、その年の方策を祈る。
 頭屋は長男の生まれた家がつとめる。 ムラに長男が2人生まれた場合は、生まれた月に
よって後先をきめ、後の方は翌年に頭屋をちとめる。 なお、行事の経費は、子供のある家が
小額ずつ出し合うが、その大部分は頭屋負担である。
 
 この行事のいわれとして、次のような伝承がある。
 このムラでは長男が生まれると、3月3日の節句に、氏神の前で籤(くじ)を引き、籤の当た
った家の子供は5月5日に、ノガミさんに人身御供として差し出さなければならなかった。
 これをおこたると、田植えをしても何者かに抜かれて、米が収穫でkなくなり飢饉(ききん)を
招くという。
 ある時、このムラに1人の青年がやってきて1夜の宿を乞い、先の人身御供の話を聞き、
魔性のものがノガミに住みついているとし、その退治をかって出た。 案の定、大蛇が住み
ついていたため、青年は酒で眠らせてムラの者とともに大蛇を退治し、ムラの災いを除いたと
いう。 ムラ人は退治した大蛇を葬り、毎年、大蛇の命日である5月5日にかつて人身供養と
なる長男の生まれた家を頭屋として、藁で大蛇をつくり、大蛇の供養をするようになったという。
 また、一方では新池の北岸にある寺の僧兵たちが、戦乱で亡くなった人々を供養するたまに
、塚を築き祀ったのがこのノガミの塚であるともいう。 さらに、かつてこの地は河川が分岐し、
二つの河川にはさまれた場所であったという。 そのため、度々河川が氾濫し、ムラ人たちが
困っていたため、先の僧兵たちが治水工事をしてムラ人たちを救ったという。
 その記念にこのノガミの塚を築いたとも伝える。
 
                                           橿原市史より転載
 
 
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 てっきり旧村に建つ集会所で行われると思いきや、大きく様変わりした集会所で蛇が作られます。
 
 周りはマンションが建ち子供たちはいるのですが、いまでは珍しく6月5日に行事は固定されて
いることからか、集まりは悪いようです。
 
 昔は蛇も子供たちが作っていたそうですが、学校があるので自治会の大人たちが作るようになった
そうです。
 
 
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 蛇の前に供えられているのは、蛇のエサだと言われていました。
 
 このちまきは、米粉1Kgにぬるま湯を注いで捏ねたものを、長さ約20cm、直径約10cmに
整えて、中心に竹串を挿しハラン(葉蘭)の葉で包まれたもので2個つくられます。
 
 
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 上品寺集会所の脇から出発です。
 
 
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 頭屋さんが先頭を歩き、子供たちが蛇を担いで集会所付近を練り歩きます。
 
 昔からつづく行事は、マンションや住宅地が建ったりとでアンマッチの光景の中行われます。
 
 
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 途中2か所で大蛇に水を飲ませます。
 
 このシーンが一番の見どころかもしれませんね。
 
 
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 最後は、集会所の横に建つ ヨノミの木に大蛇を括り付け終了です。
 
 神主さんやお坊さんが来られることはありません。
 
 練り歩きがはじまってわずか30分ほどで解散です。
 
 
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 最後は、参加した子供たちの記念撮影。
 
 
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■撮影日  2014年6月5日(木)