大仏さま秋のおまつり

慶讃法要(大仏殿)

イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4


発願慶讃能(鏡池


イメージ 5


イメージ 6


仕舞 忠度(ただのり)
イメージ 7

  もと藤原俊成につかえていた僧が、須磨の浦で「若木の桜」に手向けをする一人の老人に
出会います。老人からそれが忠度の墓標だと聞いて僧は回向しますと、その老人は我が身の
ことと喜び、忠度であることをほのめかして花の陰に姿を消します。これが前半の筋です。
 その夜僧の夢の中に、甲冑姿で忠度の亡霊が現れ、自分の歌が千載集に選ばれているもの
の、朝敵の身であることから詠み人知らずされているのが、亡執の第一、それで定家に願っ
て名を明らかにしてほしいと頼みます。ここから以後が今日の仕舞の部分です。
 壽永の春、平家一門と都落ちした忠度は、途中から都にもどり和歌の師匠俊成のもとに自
作の歌を託して出陣し、一ノ谷で岡部六弥太に討たれたさまを詳しく語り舞います。忠度の
首を打ち落とした六弥太が、死骸の箙につけられた短冊に書かれていた歌から忠度と判明し
と述べて、跡弔いたまへと花の元へ消えて行きます。舞の最初の部分は忠度の側からのべら
れ、忠度が首を打ち落とされてからは、六弥太の立場で演じられます。最後の方では、再び
忠度に戻ります。おもしろい表現方法です。 

仕舞 井筒(いづつ)
イメージ 8

 伊勢物語を原拠とした世阿弥作の曲。初瀬参りの途中に在原寺の廃墟を訪れた僧は、美し
い里女に出会います。僧が業平の古塚に回向する女に素性を問うと、業平の昔を懐かしみ、
紀有常の娘との筒井筒の物語りをした後、自分こそその井筒の女と明かして姿を消します。
 僧は業平や井筒の女との夢の中での出合いを期待して寺で眠りに落ちると、業平の形見の
初冠に長絹を身につけた井筒の女が現れ、業平の霊が乗り移ったかのように舞を舞うのです
。恋慕の舞を舞い、思いでの井筒をのぞきこみ、夜明けとともに僧の夢は覚め、女の姿は消
え失せます。
 今日の仕舞は、本曲のキリの部分で、姿は業平の形見の衣装を身に纏い、舞台は、月の照
る在原寺の廃墟、前にはすすきが生え井筒があると想像して見てほしいのです。西名阪の天
理インターのすぐ下に、在原寺があり、井筒のそばに一群のすすきが植えられています。 

狂言 清水(しみず)
イメージ 9


イメージ 10

 この狂言の舞台となる野中の清水は、播磨の印南野にある名水のことで、この辺りには鬼
が出るという言い伝えがあったようです。天下始まりめでたい御代とあって、方々で茶の湯
の会が催されてます。主(アド)も明日の催しのために、太郎冠者(シテ)に野中の清水に
行って水を汲んで来るように命じます。太郎冠者は「七つ下がって(午後四時以降)清水へ
行くとガゴゼが出る」と断りますが、それは子供だましに言うことだとたしなめられ、秘蔵
の桶を渡され水汲みに出掛けます。が、どうしても行きたくない太郎冠者は、一計を案じて
桶を隠し、鬼が出たと逃げ帰ってきます。秘蔵の桶が鬼に噛み砕かれたと聞いても、やはり
桶が惜しくて取り戻しに主人は清水に出向きます。鬼の出るわけはありません。太郎冠者と
しては大芝居をうつのですが、「風流の面」が重要な役を果たします。鬼といっても、なん
となく下がり目のかわいい弱々しい顔付ですが。「ガゴゼ」という言葉はガゴウゼが訛った
ものと言われ、恐ろしい化け物とか鬼のことで、「ガゴゼが来る」「ガゴゼに噛まそ」とか
威かされると、子供は泣き止んだものでした。「元興寺」と当て字するのは、この寺の汁物
の鬼面からだとも言われています。 

能 熊坂(くまさか)
イメージ 11


 都から東国へ修行に出た僧(ワキ)は、近江路を経て美濃の国、赤坂で1人の僧(シテ)
に呼び止められ、茅原の中の古塚に案内され今日が命日の者の回向を頼まれます。古塚の主
の名を尋ねますが、名を明かしません。そしてその僧は自分の庵室に旅僧を案内します。み
ると、持仏堂には武具ばかりが並べられているので、不審に思い尋ねますと、山賊や夜盗に
襲われた人々を助けるときの道具と答え、僧には似合わぬ物のようだが、仏も武具を使うこ
ともあると語り、「お休みあれやお僧たち、我もまどろまんざらばと」と、庵室に入るかと
みえたが、姿を消してしまいます(中入り)。
 気が付いてみると、庵室は消えて旅僧は松陰の草むらに座っているのです。来合わせた地
元のひと(アイ)から、この地で討たれた大盗賊熊坂長範の話を聞き、さては長範の亡霊で
あったのかと思い、供養のため夜通し松の下で仏事を営みます。すると長刀を手に長範の亡
霊が現れ、あさましき娑婆への執心を恥じ、僧に問われるままに、ここで奥州へ下る金売り
の吉次一行を襲った時のことを物語ります。牛若丸に、多数の手下の者共が切り伏せられ、
自分も秘術を尽くし渡り合ったが、ついに力も弱り、この松が根で討ち取られた無念の様を
見せますが、夜明けとともに、「末の世助けたび給え」と僧に頼み、松陰に消え失せます。
 長範の戦っている相手の牛若丸は、舞台には登場しません。季節は秋です。 


 今日はいい秋晴れ。会場には屋根が無いので日差しの強さに日焼けしそうでした。
午前中の『慶讃法要』は10時から行われましたが、参加できず。午後1時半からの『発願
慶讃能』を見てきました。

 狂言は、私みたいな素人でも笑える楽しいもの。 伝統芸能もいいものです。



■撮影日  2009年10月15日(木)
■所在地  奈良市
■機材   EOS-40D EF70-200mm F4L IS USM
■資料   『東大寺慶讃能』パンフレットより抜粋