宇太水分神社 秋祭り
【由来】 その歴史は長く、起源は平安時代にまでさかのぼります。上芳野(芳野川の上流)に位置する 惣社水分神社の速秋津姫命様が、夫君である当社の御祭神、速秋津彦命様にお会いになるため、 神輿にて渡御されるというロマンチックなお祭です。
午前七時過ぎ、乗り児(太鼓の叩き手を務める児童)を乗せた『宮本』の太鼓台が、境内を出発 します。 午前八時、鳳輦神輿(レプリカ)を中心にした総勢百名の行列が、惣社水分神社を出発します。 行列には、毛槍、花傘、先箱、宝箱などが含まれ、江戸時代の大名行列の形式をとっています。 途中数箇所で、手振、先箱、槍振のお練りを行い、東郷にある勝林寺前で、迎えの宇太水分神社 神職および氏子の代表者と会同します。そこで、神輿を奉安して神事が行われ、当社宮司よりの 秘撰(化粧品と粟。化粧品が奉られるのは、惣社水分神社の御祭神が女神様であることから)が、 惣社水分神社の御祭神に奉られます。 その後は、宇太水分神社神職と氏子が行列の先導となり、途中、松井地区の天神社前において 祭典を行った後、宇太水分神社に向かいます。 午前十時、来賓をお迎えして祭典を厳粛に斎行します。普段は閉めている中門を開け、第一殿 と第三殿に神饌を供し、宮司が第二殿前で祝詞を奏上し玉串を奉ります。 昼前には、各地区からの子供神輿が、それに続いて正午過ぎには、太鼓台六基(宮本、松井、 岩崎、宇賀志、佐倉、芳野)が、神輿行列を先導する形で境内に勇壮に繰り込んできます。 これらの太鼓台はそれぞれ重さ約2トン、担ぎ手は百数十人というものです。太鼓台は互いに競 い合うように、境内を所狭しと練り歩きます。 午後二時ごろ、惣社水分神社の氏子である芳野の太鼓台が、神輿を一ノ鳥居まで迎えに出、それ に先導される形で、神輿渡御の行列が粛々と到着します。このとき、境内は凄まじいほどの熱気に 包まれ、最高潮の盛り上がりとなります。 行列が完全に到着すると、女神様がお渡りになったことを告げる祭典が斎行されます。まず、神 輿を本殿の脇にある夫婦杉の根元に奉安し、惣社水分神社及び郷社の御幣を第二殿の大床に奉りま す。各地区(郷)の氏神様がお集まりになったということを表します。 その後、当社宮司が本殿に向かって、惣社宮司が神輿に向かって、それぞれ同時に祝詞を奏上す るというきわめて珍しい神事が行われます。 このあと女神様をお見送りし、太鼓台もそれぞれ帰っていき、境内は大波が引いたあとのように 静かになります。 【宇太水分神社HPより抜粋】
本社 第一殿 天水分神 (あめのみくまりのかみ) 第二殿 速秋津彦命(はやあきつひこのみこと) 第三殿 国水分神 (くにのみくまりのかみ) 摂社 春日神社 天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 宗像神社 市杵島比売命(いちきしまひめのみこと) 末社 恵比須神社 蛭子之大神(ひるこのおおかみ) 金刀比羅神社 大物主命(おおものぬしのみこと)
すみません。来た時には既にはじまっていましたので、詳細は。。。。。
宇太水分神社の境内で行われていました。
本日のお昼ごはん。 お腹が空いてたのもあったんだけど、おいしかった。
どちらさまかの玄関に。。。。。 祭りムードが高まりますね。
今日も目覚めると、午前9時。 最近休みの日は寝ぼ介あかねでございます。
あらら、間に合わないのでゆっくり家で朝食を取ったのち愛車黒駒で、菟田野へ出発。
まぁ、いい秋晴れ♪ バイク日和でございます。
快適に走っていると、レーサーレプリカに乗る女性が、髪をなびかせて走っているでは
ないですか。 銀さんの影響か、同じペースで走ることに。(レーサーレプリカなんだから
もう10km/h早く走ってほしいなぁなんて思いながら、それでもヘルメットからなびく
髪の毛に誘われてついて行く。 はは!
橿原まで着いて行くが、このままでは目的が変わってしまうので、気持ちを抑えて左折。
さよ~なら。
宇太水分神社につくと、ちょうど神輿が境内に向かってるとのこと。
完全に銀さん病が感染したのか。 菟田野って、ちょっとヤンきーぽいけど奇麗な人が
多いです。 そんなこんなで、次は神事・神輿編へとつづきます。
おまけ
あらら。。。うちの家紋と同じですよね。