談山神社 けまり祭
今から凡そ1400年前、中国から伝わったと言われ、中大兄皇子と藤原鎌足が飛鳥の法興寺(現・飛鳥寺)で蹴ったのが最初とされ、以来歴代天皇始め宮中の高官・ 将軍・大名・室町江戸時代では庶民に至るまで広く行われたが、明治維新頃 には―旦跡絶えた。明治38年、明治天皇の御下命により当蹴鞠保存会を創立して現在に至った。
藤原鎌足公が飛鳥法興寺の蹴鞠会(けまりえ)において中大兄皇子とはじめてまみえ、「大化改新」の発端となった故事にちなんで行われるたいへん雅びな祭です。現在は毎年、4月29日(昭和の日)と11月3日(文化の日)に行われます。
【装束】
○鳥棺子(エボシ)
侍・風折・立の3種類を用いる。
侍・風折・立の3種類を用いる。
○鞠水干(マリスイカン)=上衣
生糸(練ってない)を用いて紗と言う織りにする。古くは束帯・直衣・直垂・狩衣等でも蹴っていたが、後鳥羽上皇の時代から鞠専用のものが定められた。種々の色や紋・刺繍等を組合せて階級とした。
生糸(練ってない)を用いて紗と言う織りにする。古くは束帯・直衣・直垂・狩衣等でも蹴っていたが、後鳥羽上皇の時代から鞠専用のものが定められた。種々の色や紋・刺繍等を組合せて階級とした。
○鞠袴(マリパカマ)
葛の繊維を煮て水に晒して用いる。これにも各種の色分けがあり、又、下濃(スソゴ)と言って裾のみ染色して、上方は無地のものもあり階級がある。
葛の繊維を煮て水に晒して用いる。これにも各種の色分けがあり、又、下濃(スソゴ)と言って裾のみ染色して、上方は無地のものもあり階級がある。
【鞠】
鹿の皮を2枚円形(直径30~36cm)にして、毛の方を裏(内側)にして、独特の半なめしの状態にして互に縫い合せて球形にする。縫う方法は馬の背の皮(真皮)をあけ、そこから大麦をつめて、球形に張りふくらませ形を整え、表面に膠を塗り、その上に鉛白にて化粧して後、内容の大麦を取り出して小穴を閉じて用いる。直径は17~18cm、重さ約150g、勿論ハンドメイドであるから、形の大小や軽重は避けられない。
【鞠庭】
鞠を蹴る場所を鞠庭・鞠場・鞠懸(マリガカリ)と言う。広さ凡そ14m四方で、テニスコートの様に平坦で水はけのよい土地がよく、鞠庭四隅の稍内側に、松・桜・柳・楓の木を植える。高さは4~5m。尚、地中に壷を数箇埋めて蹴った鞠の反響をよくする。
好天に恵まれた談山神社。 秋のけまりとは4分の1程度の観光者にびっくり! 駐車場もガラガラ
でした。 おかげで撮影場所も自由に変えることができてシャッター切りまくり。
神事は、けまりの庭ではなく神廟拝所で行われました。
蹴鞠は、京都から来られた蹴鞠保存会の方が行います。 しきたりが多く、厳しいようです。
鞠は必ず右足で蹴らなければならず、それ以外にもたくさんの禁止事項があるようです。
このしきたりを犯すと。。。。。な、なんと保存会を脱退することになるそうです。
ひぇ~ でも、また入会金を払って入会することはできるそうですが。。。。。。。
そうそう、今回は2つのハプニングが。。。。。。。
最前列でミニ脚立に座っていたのですが、蹴鞠保存会の方のアップを撮ろうと重心を後方に移した
とたんバランスを崩して脚立からずり落ちてしまった。 原因は持っていたバッグが重たくバランスが
取れなくなったみたいで、両脇の方に支えてもらってなんとかこけずにすんでよかった~
かばんには2本もレンズが入っていたし、首には2台のカメラを下げていたから、ほんと助かりました。
けど、目の前の保存会の方の冷たい視線。。。。。
その後蹴鞠がはじまりすぐ、写真のチェックをしていると。。。。。 蹴鞠がこつんと私の頭に。
周りからは大爆笑! ほんと、はずかしかったです~
最近こういうことが続きます。 当たり年~っていい方向に取れたらいいんですけどね。
まさか奈良テレビさん、このとんまなシーン放映しないですよね。
今回のメインのけまりのシーンは、容量の都合で、次回につつきます。
その記事も次回につづきますので、合わせてよろしくお願いします。
※解説は、談山神社のHPから転載させていただきました。
撮影日 2010年4月29日(木・祝) 11寺~12時
入場料 大人500円 小人250円 駐車場 無料 8時30分~16時30分