特別史跡 山田寺跡

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 5月の五月晴れの日、明日香の西端に位置する『山田寺』を訪れてみた。
 明日香は、修学旅行生や観光客で賑わっているというのに、ここはひっそりとただ広い敷地だけが
出迎えてくれる。 誰もいない山田寺跡。。。。。。
 
 山田寺蘇我氏の一族である蘇我倉山田石川麻呂(そがのくら(の)やまだのいしかわ(の)まろ)
の発願により建て始められたお寺です。法号浄土寺または華厳寺と称した。
 石川麻呂は蘇我馬子を祖父とし、蝦夷を伯父、入鹿を従兄弟でありながら、蘇我氏本家とは対立
乙巳の変に加担し入鹿暗殺に関わった。その後右大臣になるが、異母弟の蘇我日向に謀反の疑
いをかけられて石川麻呂は抵抗もせず一族と共に山田寺仏殿前で自害したと伝えられています。
石川麻呂は無実であり冤罪であったとされるが、事件の真相について証明されるものは残っていません。)
 
 山田寺は石川麻呂の死後(649年)一旦、造営は中断するが、663年に工事がはじまり676年には塔が
完成したと文献に示されています。平安時代までは伽藍は健在だったが、鎌倉時代に入る頃は、談山神社
の末寺となり伽藍は荒廃して、一部建物は跡地のみになっていたようです。
 
 明治の廃仏毀釈で廃寺となり、明治25年(1892年)に再興され現在に至っています。
 
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 山田寺の伽藍は中門 ⇒  塔 ⇒ 金堂 ⇒ 講堂を南北一直線に並べるもので、四天王寺式伽藍
配置と類似します。
 
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 今は、ほんと何もない、だだっ広い平地となっています。
 
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  現在は講堂跡付近に観音堂と庫裏が建つのみで、山田寺跡北側にひっそりと建てられています。
 
 
 以前訪れた時は、何かのロケだったんでしょうか?  菅原文太とロケ班と出くわしました。
 
 の~んびりしたいときはビニールシートを持って、昼寝をしながら当時の光景を想像するのもいいか
もしれません。 一人になりたい時などは、もってこいの場所ですよ。。。。。
 
 
 
 
撮影日  2010年5月6日(木)
所在地  桜井市山田