第32代 崇俊天皇

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               ■陵名     倉梯岡(くらはし)陵   
                               ■墳形     方墳 
                               ■築造時期  7世紀
                               ■所在地    桜井市大字倉橋字金福寺跡
 
              ■生涯  生年不明~592年12月12日
              ■在位  587年9月9日~592年12月12日
              ■父  欽明天皇   ■母  蘇我小姉君
 
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 談山神社でけまり祭りを見た帰り道、崇竣天皇陵に寄ってみた。
 
 崇竣天皇蘇我馬子の推薦によって選ばれた天皇であす。 この時代も権力争いが激しく
大臣の蘇我馬子と大連の物部守屋が権力争いを繰り広げていた。 馬子は守屋が時期天皇
押す穴穂部皇子を殺し、物部守屋までも滅ぼしてしまい実権をほぼ手中に収めてしまいます。
 それをおもしろく思わない崇竣天皇も、逆に馬子の命により東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)
の手により暗殺されてしまった。
 
 陵墓ですが、1889年にこの古墳が崇竣天皇の墓と定められたが根拠に乏しく、近くの巨大方墳
赤坂天王山古墳がどうも有力視されています。
 
撮影日  2010年4月29日(木)