於美阿志(おみあし)神社(檜隈寺跡)

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 於美阿志神社は,東漢(やまとのあや)一族の祖・阿知使主(あちのおみ)を祭神として祀っています。『日本書紀』では応神天皇20年に阿智使主がその子・都加使主(つかのおみ)、および自分の党類十七県を率いて渡来してきたと記されている。渡来した阿智使主一族が高市郡一帯に住んでいたが、その中から雄略天皇の時代に活躍する身狭村主青(むさのすぐりあお)や檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかいはかとこ)が出ています。二人は呉の国に派遣され、織機技術を持った者たちを連れ帰っています。

 この場所は、7世紀に建立された東漢氏の氏寺、桧隈寺跡です。西側に中門があり、その門を入ると正面に塔、左手に講堂、右手に金堂が配置されていました。現在は大きな礎石が草むらに残り、柵に囲まれて重要文化財の十三重の石塔が建っています。元の於美阿志神社は講堂と塔の間にあったようです。

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 第28代宣化天皇が即位した檜隈廬入野宮(ひのくまいおりののみや)がここにありました。
 宣化天皇は在位4年で、73歳のときこの廬入野宮で崩じました。
 神社の境内には宮跡を示す石碑が一本建っています。

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 この日は絶好のお花見日和♪ 檜隈寺跡おまわりにも、待ちに待った春の陽気を満喫するために
多くの植物が、素敵な姿をみせてくれていました♪

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■撮影日  2011年4月12日(火)
■所在地  高市郡明日香村檜前字ヒガキ