大和神社 夏越し祓い
【行事としての大祓】
茅の輪(年越の祓にて)701年の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められた。
この日には、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れを祓った。衣服を毎日洗濯する習慣や水などのない時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で疫病を予防する意味があった。その後、百年ほどは盛大に行われた。そして応仁の乱の頃から行われなくなったが、江戸時代(1691年)に再開され、次第に広まった。
この日には、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れを祓った。衣服を毎日洗濯する習慣や水などのない時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で疫病を予防する意味があった。その後、百年ほどは盛大に行われた。そして応仁の乱の頃から行われなくなったが、江戸時代(1691年)に再開され、次第に広まった。
1871年(明治4年)の太政官布告にて明治新政府により「夏越神事」「六月祓」の称の禁止と「大宝律令」の「大祓」の旧儀の再興が命じられ、全国の神社で行われるようになった。戦後には「夏越神事」「六月祓」の称も一部では復活し、現在に至る。
夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。これは、氏子が茅草で作られた輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って穢れを祓うものである。『釈日本紀』(卜部兼方 鎌倉時代中期)に引用された『備後国風土記』逸文にある「蘇民将来」神話では茅の輪を腰につけて災厄から免れたとされ、茅の旺盛な生命力が神秘的な除災の力を有すると考えられてきた。また、茅の輪の左右に設置する笹竹に願い事を書いた短冊を振下げ、七夕に河川に流すといった俗信仰は、書初めをどんどん焼きで焚くと筆が上達するといった行事と対応している。
京都では夏越祓に「水無月」という和菓子を食べる習慣がある。水無月は白のういろう生地に小豆を乗せ、三角形に包丁された菓子である。水無月の上部にある小豆は悪霊ばらいの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表していると云われている。
高知県下では、夏越祓のことを「輪抜け様」と呼び、多くの神社でお祭りが開かれる。行事として最も重要な茅の輪潜りはもちろん行われるが、それに併せて神社の参道に多くの屋台が並び、まさにお祭りである。梅雨時期に当たることから天気がぱっとしないことが良くあるが、「輪抜け様」が終わると夏到来という風物詩でもある。
尚、茅の輪のカヤを引き抜いて持ち帰る人が後を立たないが、本来は罪や穢れ・災厄をカヤに移すことで無病息災を得る風習であり、カヤを持ち帰ることは他人の災厄を自宅に持ち帰ることになるので(茅の輪のカヤを抜いて持ち帰るのは)避けるべきである
昨年に引き続き。今年も除災をしてもらいに大和神社へ訪れました。
今年は梅雨だと言うのに、この一週間は雨も降らず真夏日が続きます。
この日も蒸し暑い。。。。。 比較的涼しい境内でも、汗が滴ります。
茅の輪くぐりにも作法があります。
この茅の輪をくぐります。
まずは大和神社の神様にご挨拶。
写真を見て気が付いたんですが、お参りの仕方が。。。。。。書いてある。
17時。 いよいよ夏越し祓えがはじまります。
大和神社は人形(ひとがた)ではなく、正方形に細かく切られた紙と稲? 何種類の何かを
両肩にかけ、また包まれていた紙を神官にお返しします。
確か昨年、この紙を神事の後川に流すと言ってられたのを思い出した。
さぁ、茅の輪くぐりです。
「水無月の夏越祓いする人は千歳(ちとせ)の命(いのち)、延(の)ぶと言うなり」と詠いながら
茅の輪をくぐります。
茅の輪をくぐつて夏越祓いをした人は、寿命が千年にも延びますよ、という意味だそうです。
茅の輪くぐりが終わると御神酒が振る舞われます♪
勝手に載せちゃってごめんなさい。 この前は大神神社の夏越し祓えに行って来られたらしい。
石上神宮の夏越の祓えは、盛大に行われている事を伝えると来年は。。。と言ってられた。
最後にカヤを頂きます。 でも、ウィキペディアによると、他人の災厄を持ち帰ると書かれて
ますね。。。。 困ったぞ~