八柱神社 題目立
確か2009年の時は無かった、石碑。 立派な物が建てられてました。
舞台につづくござの花道。。。。
拝殿・本殿は盛りあがった丘にあり、その参道の両脇には提灯が吊るされていました。
長老の先導で、「みちびき」を謡いながら舞台に入場します。
今年は、『大仏供養』を演じるようです。
題目立は『厳島』と『大仏供養』の2つの演目があります。
パンフレットによると、平清盛が名乗り、保元・平治の乱に打ち勝って太政大臣の官を極めたことは、
厳島明神のおかげであるので供養をする旨を述べる(一番)。 続いて平家一門の者が順々に名乗り、厳島明神を称え(二~七番)、厳島明神への供養や華麗荘厳な様子を賛仰する言葉が続く。(八~十七番
)やがて清盛が厳島明神の宝物の「節刀」(長刀)や「をもかげ」(扇)を拝みたいと願ったと
ころ(十八番)、厳島の弁財天が登場し、天下を治める長刀として清盛に「節刀」を授け(二十
二~二十四番)、清盛達はその喜びを謡う(二十五・二十六番)。そのあと「ふしょ舞」があり
、入り句を謡って終わる。
と書かれています。
厳島明神のおかげであるので供養をする旨を述べる(一番)。 続いて平家一門の者が順々に名乗り、厳島明神を称え(二~七番)、厳島明神への供養や華麗荘厳な様子を賛仰する言葉が続く。(八~十七番
)やがて清盛が厳島明神の宝物の「節刀」(長刀)や「をもかげ」(扇)を拝みたいと願ったと
ころ(十八番)、厳島の弁財天が登場し、天下を治める長刀として清盛に「節刀」を授け(二十
二~二十四番)、清盛達はその喜びを謡う(二十五・二十六番)。そのあと「ふしょ舞」があり
、入り句を謡って終わる。
と書かれています。
今回行われた『大仏供養』は本殿はなく、その位置には誰も配置されず、本殿側の左手に井原左衛門・
梶原平蔵・和田吉盛・景清・頼朝・畠山・北條時政・佐々木四郎・泉の小次郎と並び、三十八番まで台詞がつづきます。
梶原平蔵・和田吉盛・景清・頼朝・畠山・北條時政・佐々木四郎・泉の小次郎と並び、三十八番まで台詞がつづきます。
パンフレットによると、源頼朝が名乗り、平家の焼き討ちで焼損した大仏再建の供養に上洛する旨を述べる(一番)続いて家臣らの名乗りがある。(二~七番)。上洛の途中、大洪水の富士川で、大蛇と平家の悪霊を退けて、川渡りに成功して京に着く(八~二十二番)。さらに京から奈良に下向するが(二十三
番)、平家の残党の悪七兵衛景清が登場し(二十四番)、頼朝の奈良入りや春日社参詣、帰路の般若寺付近と三度にわたって頼朝を狙うが果たせず、ついに消え失せる。(二十五番~三十七番)そのあと「ふしょ舞」があり、入り句を謡って終わる。
番)、平家の残党の悪七兵衛景清が登場し(二十四番)、頼朝の奈良入りや春日社参詣、帰路の般若寺付近と三度にわたって頼朝を狙うが果たせず、ついに消え失せる。(二十五番~三十七番)そのあと「ふしょ舞」があり、入り句を謡って終わる。
と書かれています。
北條時政役n後姿。
手前が、景清役。 隣が源頼朝役。衣装が彼ひとり違います。
この人達が番号を読み、演目の進行を行います。
和田吉盛役。
奥左から、井原左衛門役・梶原平蔵役・和田吉盛役。
手前左が佐々木四郎役・右が北條時政役。
この役を演じるのは、上深川の17歳を中心とした青年達です。
まずびっくりするのは、この長い台詞を覚えこれだけの大勢の前で堂々と語られること。
そうとうの勉強されたと思います。
彼達はこれを演じきることで成人として認められる習わしがあるようです。
『大仏供養』の演目は、まったくと言っていいほど動きがないんですよね。
1時間も見てると、ちょっと退屈。。。。 お月さまがきれかったので。。。。。 でも手持ちでは、これが限界かな?
地元の方達が振る舞いぜんざいを御用意してくださり、ありがたいものです。
前回は知らずに帰ってしまったので、今回は途中に抜けて空いている時に頂きました。
ちょっと作っているとこに入らしてもらって撮影♪
拝殿のすぐ下のところに陣取って、最後の動きのあるシーンを狙うことに。
1時間もここで、その一瞬を狙ったのですが。。。。。
よくお見受けするカメラマンさんが直前に、最前列で脚立に乗るんだもんな。
大誤算~。
お二方の頭とカメラで、こんなのしか撮れなかった。。。。。
終了後、皆さん着替えられるのですが。。。。 完全オープン状態。
2009年の記事はこちら ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/a02221370209/56162186.html
『題目立』のことを詳しく書いてありますので、興味のある方は是非覗いてみてください。