飛鳥資料館&飛鳥フォトコンテスト
私が応募した飛鳥フォトコンテストの展示があると聞き、
行ってきました。
結果は見事『落選』(^O^)/
でもでも、ブロ友のananさんは見事、かなり高い賞に選ばれていましたよ(^O^)/
写真展の光景はこんな感じ。
この中に4枚応募しています。
お時間ありましたら、涼みに一度お立ち寄りくださいね。
ここからは、資料館の展示物を。。。。
教科書でも見た覚えがあると思います。
では少し歴史のお勉強(^O^)/
興福寺仏頭です。
奈良市・興福寺に所蔵される銅造仏頭(国宝)は、もと山田寺講堂本尊薬師如来像の頭部であった。『玉葉』(九条兼実の日記)によれば、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵が山田寺に押し入り、山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪して、興福寺東金堂の本尊に据えた。当時の興福寺は平重衡の兵火(治承4年・1180年)で炎上後、再興の途上であった。この薬師如来像は応永18年(1411年)の東金堂の火災の際に焼け落ち、かろうじて焼け残った頭部だけが、その後新しく造られた本尊像の台座内に格納されていた。この仏頭は昭和12年(1937年)に再発見されるまでその存在が知られていなかった。
ウイキぺディアより転載
山田寺跡の東回廊
山田寺跡は昭和50年(1975年)に国有地化され、以後本格的な発掘調査が実施されている。発掘調査の成果のうち特筆すべきは、昭和57年(1982年)、東回廊の建物そのものが出土したことである。土砂崩れにより倒壊、埋没した回廊の一部がそのまま土中に遺存していたもので、柱、連子窓などがそのままの形で出土した。腐朽しやすい木造建築の実物がこのような形で土中から検出されるのはきわめてまれなケースであり、日本建築史研究上、貴重な資料である。出土した回廊はポリエチレングリコールによる科学的保存処置を施し、うち3間分が復原された形で奈良文化財研究所飛鳥資料館に展示されている。
ウイキぺディアより転載