平城京天平祭 石見神楽

≪石見神楽≫
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 その源流は近世以前とされているが、文化文政期の国学台頭とともに古事記・日本書記を原拠と
する神話ものが加わり、演目も豊富で極めて多彩である。
  往時、神の御心を和ませるという神職によっての神事であったものが、明治初期からは土地の人々
のものになり、民族芸能として演舞されるようになった。
  そのリズムは、石見人の気性をそのままに、他に類を見ない勇壮にして活発な八調子と呼ばれる
テンポの早いもので、大太鼓、小太鼓、手拍子、笛を用いての囃子で演じられ、見る人をして神話の
世界に誘う。
  また、石見神楽はその詞章に特徴がある。荘重で正雅な古典的なそれは、里神楽には極めて稀
といわれており、その中に織り込まれた土の香りの高い方言的表現、素朴な民謡的詩情とともに
独特のものをつくりあげている。
  大阪万博を機に、海外公演も多く、日本文化の交流に役立っている。そのスケールの大きさとダイ
ミックな動きで絶賛を得た「大蛇」を含め、演目は30種類にのぼり、例祭への奉納はもとより、各種
の祭事、祝事の場に 欠かすことのできないものとなっており、広く誇れる郷土芸能である。
 
                                          島根県浜田市HPより転載
 
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 島根県浜田市から、奈良に『石見神楽』を披露していただきました。
 
 
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古事記では、
 
 高天原を追放された須佐之男命は、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現・奥出雲町
鳥上)に降り立った。箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いていた。その夫婦は
大山津見神の子の足名椎命と手名椎命であり、娘は櫛名田比売(くしなだひめ)といった。
 
 
日本書紀では、
 
 素戔嗚尊(すさのお)は天より降って出雲の國の簸(ひ)の川上に到った。その時、川上で泣き声が
聞こえた。そこで声の方を尋ねると、老夫婦がきれいな少女を間にして泣いていた。 老夫婦は脚摩乳
(あしなづち)と手摩乳(てなづち)といい、少女は二人の娘で奇稲田姫(くしいなだひめ)といった。
 
 
                                  フリー百科事典 ウィキペディアより転載
 
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 赤・青・黄と様々な大蛇が、鉦太鼓に合わせて、まるで本当に生きてるかのように舞台を所狭しと
 
舞い踊ります。
 
 
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 須佐之男命が大蛇を退治します。
 
 
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 見事、佐之男命が8頭の大蛇を退治し、幕が落とされました。
 
 遠いですが、一度本場の『石見神楽』を見に行きたいですね。
 
 
 
 
 
■撮影日  2013年11月9日(土)