金峯神社と隠れ塔 (吉野山)
9月28日(金)、仕事も片付いていないのに5連休をば頂戴して吉野山を走ってきました。
天気もよく、やっと秋らしい日になり絶好のバイク日和でございます。
吉野山は、今の仕事に就いた当時毎週火曜日に訪れていたのでとてもなつかしい1日が送れました。
車でここまで来る事も可能ですが、道が狭く坂がきついのであまりお勧めができません。
その点バイクは対向車も気にならず、快適な神社・仏閣めぐりが可能でした。
ただ、遺構が密集しているためヘルメットが苦痛・・・・ スピードも出さないし、人もあまり
いないので、ノーヘル、しかも首からカメラをぶら下げての吉野山見物となりました。
(交通安全週間というのにね・・・・・)
またこの日は、ブログで拝見しているイタリアの車、アルファロメオと対向しビックリ!
当然、相手の方は気がつかずいってしまわれたけど、こういう出会いがあるんですね。
早速帰ってブログにコメ入れると、やっぱりご本人でした。
まぁ、前置きはこれぐらいにして、吉野山の一番奥手に金峯神社(写真1枚目)があります。
その側には、源義経が屋根を蹴破って追っ手から逃れたと伝わる義経隠塔が。(写真2枚目)
【現地説明板から】
金峯(きんぶ)神社と院塔
この神社は金山彦命を祭る吉野山の総地主の神で、一名金精明神ともいって
古くから信仰を受けてきた延喜式内社です。
金峯というのは、この辺りから大峯山にかけての総称で、宇治拾遺物語その他にも
この山に登って黄金を得たという話があります。これは仏教説話として、金峯山は
黄金浄土であるという観念から生まれたものです。
左の小道を下った所にある建物は、隠れ塔といって、ここは大峯修行瑝の一つで、
この塔に入って扉を閉じると中は真っ暗になります。そこで神官の先導に従って
吉野なる深山の奥のかくれ塔
本来空のすみかなりけり
と唱えながら境内を巡ります。
文治三年(1185)十一月、源義経がこの塔に隠れ、追っ手から逃れるため
屋根を蹴破って外へ出たため「義経の隠れ塔・蹴破りの塔」ともいわれます。
吉野町観光課
■撮影日 2007年9月28日(金)
天気もよく、やっと秋らしい日になり絶好のバイク日和でございます。
吉野山は、今の仕事に就いた当時毎週火曜日に訪れていたのでとてもなつかしい1日が送れました。
車でここまで来る事も可能ですが、道が狭く坂がきついのであまりお勧めができません。
その点バイクは対向車も気にならず、快適な神社・仏閣めぐりが可能でした。
ただ、遺構が密集しているためヘルメットが苦痛・・・・ スピードも出さないし、人もあまり
いないので、ノーヘル、しかも首からカメラをぶら下げての吉野山見物となりました。
(交通安全週間というのにね・・・・・)
またこの日は、ブログで拝見しているイタリアの車、アルファロメオと対向しビックリ!
当然、相手の方は気がつかずいってしまわれたけど、こういう出会いがあるんですね。
早速帰ってブログにコメ入れると、やっぱりご本人でした。
まぁ、前置きはこれぐらいにして、吉野山の一番奥手に金峯神社(写真1枚目)があります。
その側には、源義経が屋根を蹴破って追っ手から逃れたと伝わる義経隠塔が。(写真2枚目)
【現地説明板から】
金峯(きんぶ)神社と院塔
この神社は金山彦命を祭る吉野山の総地主の神で、一名金精明神ともいって
古くから信仰を受けてきた延喜式内社です。
金峯というのは、この辺りから大峯山にかけての総称で、宇治拾遺物語その他にも
この山に登って黄金を得たという話があります。これは仏教説話として、金峯山は
黄金浄土であるという観念から生まれたものです。
左の小道を下った所にある建物は、隠れ塔といって、ここは大峯修行瑝の一つで、
この塔に入って扉を閉じると中は真っ暗になります。そこで神官の先導に従って
吉野なる深山の奥のかくれ塔
本来空のすみかなりけり
と唱えながら境内を巡ります。
文治三年(1185)十一月、源義経がこの塔に隠れ、追っ手から逃れるため
屋根を蹴破って外へ出たため「義経の隠れ塔・蹴破りの塔」ともいわれます。
吉野町観光課
■撮影日 2007年9月28日(金)