《13》 天皇陵にされた、宝来城

安康天皇陵=宝来城

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 宝来城は、阪奈道路と第二阪奈道路が交差するところに位置しています。
ここは、河内からの大和防衛戦として幾度と無く戦いが繰り広げられたようです。

 明応八年(1499)、永正三年(1506)の2回にわたる赤沢朝経軍の侵攻があり
当時の宝来九郎は秋篠氏と組み、宝来城を自焼して郡山城に入り筒井や越智と合流して
踏ん張ったが、京軍の攻撃を受けて郡山城は陥落。宝来九郎氏は戦死した。
 また宝来春竹の時も、松永久秀の大和侵攻により抗戦したが、落城している。

この宝来城は、完全に安康天皇陵として整備され、南側~東側の堀が改造され水堀と
して作りかえられています。 お陰で宮内庁の御陵となり城内に入る事ができません。

北側から見た主郭

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 天皇陵ですので入ることができません。北側の歩道から主郭を写しました。

東側にある土橋

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 天皇陵とするため、一部水堀に改造されています。この堀を遮断するように通って
いるのが、遺構の土橋です。

北側の空堀

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 空堀は西側と東側がきれいにのこっています。天皇陵の正面側(南)と西側は水堀
として改造されています。

別称 蓬莱城
所在地 奈良市宝来町
形式 丘城
高さ 標高103m 比高6m
規模 南北70m 東西90m
築城年代 室町時代
築城者・城主 宝来氏
遺構 郭・空堀・土塁・土橋


登城日 2007年1月28日(日)

 【参考サイト 奈良大和路の「気分はコクジン2」】
 http://gfi401.fc2web.com/narakokujin2-78.htm