奈良県のお城

秋山城(宇陀松山城)

ここは戦国時代秋山氏が治めており、詰め城とした山城です。 豊臣秀吉が天下を取ると豊臣秀長が 大和を治め、大和郡山に入封します。 それと同時に秋山城も秀長の家臣、伊藤義之が入封して秋山城 を居城としました。その後、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種ら…

明日香の城

久しぶりの『お城ネタ』です。 皆さん知ってましたか? 明日香村に11のお城(砦)があったことを。。。。 橿原の香久山方面から入ると、小山城・雷ギヲ城・雷城、雷の交差点を桜井方面に向かうと 飛鳥城・奥山城・八釣城、石舞台方面に向かい、岡城・祝戸…

《56》展望がすばらしい、岡道城

全景 稲渕から見た岡道城です。 万葉展望台から明日香の岡寺方面に大きく伸びた城で、堀切を中心に橿原方面に防御線を広げています。 多武峰城砦群の最前線になります。 南側の二重掘切の一本です。 万葉展望台の南側にある二重堀切の南側を写した堀切です。…

《55》筒井氏の本城 筒井城

筒井城址石碑 非常に判りづらいところに、この石碑が立っています。 だいぶ探しましたよー 西側は、筒井の住居が立ち並び、細い路地を入り畑が開けたところにポツンと立っています。 菅田比売神社 筒井城の主郭があった場所に菅田比売神社が建っていました。…

《54》仏隆寺の向え、赤埴下城

赤埴下城の全景 『千年桜』で有名な仏隆寺。その駐車場の裏山が、赤埴下城です。 赤埴下城は、東西に伸びた丘に築かれており、中央に主郭を配置。東側に郭を土橋で結び西側には、だいぶ埋もれてしまっていたが二重空堀を配置。北側には主郭に沿って、帯郭を…

《53》馬出、石組土塁、駐屯施設など見応え満載! 赤埴上城

主郭南側の空堀 登城口から上を見上げると、この空堀が見えます。 この空堀は主郭の南から東に回り込んでおり 虎口には土橋が設けられています。 馬出 虎口の前に馬出があります。 写真は、馬出の南東の角を写したものです。 馬出の土塁の周りには、堀状にな…

《52》十市氏の本城、十市城

十市城の石碑 旧国道24号線を北から下り、田原本町から橿原市に入ったあたりの東側に十市城の石碑が立っています。 国道沿いは賑やかなのに対して、一歩東側に入ると一面、田園風景に変わります。 石碑をみた風景 遺構はほとんど消滅してありませんが、当…

《51》 芦原峠を押さえた 矢走城

遠景 矢走城は奈良県ではめずらしく、県道222号線沿いに案内板があります。 アクセスは、国道169号線の矢走口交差点を西に折れ、しばらく走ると右手に『矢走城跡』 の標識があります。矢印の方に進むと矢走集落に入り、更に奥に進むと松林寺があります…

《50》郭を3方に持つ 見田城

主郭 主郭を中心に、南郭・北西に郭・北東に郭を配置しており大手道は南郭から入るものと 思われます。 主郭は比較的広く、下草も少なく見学しやすい状況です。 南郭 民家の畑から入ると、南郭に通じる山道が走っています。南郭には五輪塔があり北側には 古…

《49》東半分が消滅した 五津城

全景 残念ながら城の東側は、広域農道により遺構は消滅したかと思われます。 2重空堀 登城口から入ると、すぐに2重の空堀に出くわします。 この空堀は主郭を回りこみ U字型に南へ下っていました。主郭の北~東側は空堀も大きくなっています。 主郭北側に…

《48》榛原駅のすぐ南にある 井足城

城の西側 近鉄榛原駅から県道31号線に入ってすぐに水分神社があります。 その向かいの丘が、井足城です。 井足城はL字型をしており、大手道は北側から2本の堀切を越えて主郭に入ります。 主郭から見た大手道 主郭から北へ伸びる大手道を撮りました。 2…

《47》 奈良ホテルの下に眠る 鬼薗山城

大乗院庭園から見た全景 現在は『奈良ホテル』が建つ地が『鬼薗山城』です。 『経覚私要抄』の文献により、鬼薗山城のことは比較的明らかになっています。 鬼薗山城は文安元年(1444)に古市氏のもと、安位寺経覚が城主として 築城しました。築城は困難…

《46》 奈良公園にある 西方院山城

瑜珈神社 奈良ホテルの前にある瑜珈神社の裏が西方院山城です。 この城は文献にも詳しく記載されており、古市氏により向かいの鬼薗山城の 変わりに着工したが、計画変更により未完成のまま放置。 その後、再度築かれた城です。 築城後3日で筒井順尊・順盛の…

《45》 あの嶋左近の居館と伝わる 平等寺館

東側から見た 平等寺館 嶋氏の本城、椿井城の大手道付近にあることから、椿井城の居館 であったと思われる。 写真は、春日神社から写したもので、平等寺館の向こうには 下垣内城・西宮城があります。 主郭 主郭(居館)を囲むように空堀があったと思われます…

《44》 下垣内城のすぐ横にある 西宮城

西宮城の全景 東側からみた西宮城です。右側が下垣内城で、左手が西宮城になります。 出土品から下垣内城のほうが若干古く、後に西宮城が築かれたと思います。 アクセスは国道25号線から国道168号線に入り、竜田川沿いを北上し 道の駅からちょうど西側…

《43》 西宮城のすぐよこにある 下垣内城

下垣内城の全景 東側からみた下垣内城です。右側が下垣内城で、左手が西宮城になります。 出土品から下垣内城のほうが若干古く、後に西宮城が築かれたと思います。 アクセスは国道25号線から国道168号線に入り、竜田川沿いを北上し 道の駅からちょうど…

《42》 大和の北西部に位置する 北田原城

南側から見た、北田原城 国道163号線と168号線が合流する地点の山に北田原城があります。 主郭は右側のこぶに、副郭は鉄塔の建つこぶに位置しています。 主郭にある櫓台 主郭には、北東の隅に櫓台らしき高台があります。北田原城で一番標高が 高い部分…

《41》 不思議な城郭、佐味城

佐味城の全景 佐味城は、他の中世城郭と違い非常に変わった縄張りをもっている城です。 非常に重要な位置にある城にも関わらず、何故このような縄張りになったかは 不明ですが、これだけの大型城郭にしては防御線が弱く、かつ東の虎口からは 真っ直ぐ道が伸…

《40》 福住氏の本城、福住中定城

福住中定城の全景 北側の大手道の入口を写した福住中定城の全景です。 主郭へ続く大手道 この道は写真でみてわかるとおり、大きく屈折しており深く掘り込まれているため 非常に攻めづらく作られています。 主郭 虎口から写した主郭です 主郭は植林になってお…

《39》 筒井氏の山城、椿尾上城

椿尾上城の全景 織田信長に最終、大和一国を任された筒井氏の山城です。 筒井氏の平城は、大和郡山筒井にある筒井城です。 永禄二年(1559)に松永久秀に「筒井平城」を落とされた 筒井順慶が「山ノ城」へ退き、その後しばらく当城を本拠地 として出撃を…

《38》 消滅した二見城

本丸跡に建つ妙法寺 残念なことに二見城の遺構は、まったくと言っていいほど残っていない。 五條市教育委員会の調査では、現在妙住寺がある付近が本丸であり、その南側 が二の丸、本丸・二の丸の北側には掘があり、南側には馬場があったようです。 本丸の東…

《37》 大岡氏の居館跡、岡平城

岡平城の全景 2007年4月24日、天気もよく黒駒(バイク)に乗って宇智(五條) の6つお城(居伝城・今井城・岡平城・岡西山城・二見城・坂合部山城・ 坂合部平城)を攻略しに出陣! 4月末という事もあり、岡西山城・坂合部 山城はブッシュで断念。登…

《36》 今は田んぼ!阪合部平城

阪合部平城の全景 西側から見た阪合部平城です。 主郭 遺構はほとんど残っておらず、北側に空堀跡がわずかに残る程度です。 石碑と祠 田んぼの東側に城跡碑と祠があり、城跡だというのがわかる程度。 北側から東側に堀跡らしきものが確認できる程度です。 こ…

《35》 腰郭が印象的な、今井城

今井城の石碑 アクセスは、国道24号線を南下し五條市に入り、五條警察署前の信号を右折。 しばらく走ると、右手にクボタの事務所が現れます。 その前の農免道路へ左折し道なりに走ると左手に今井城の石碑が現れます。 城跡は田んぼになっていましたが、主…

《34》 五條宇智郡の城、居伝城

居伝城の全景 訪問したときは、地主さんがキノコ栽培をしており快く登城の許可を頂きました。 現地の方はこの城よりも、おそらく居館のあった方が印象が強く、お城の事を聞くと この城の北側に位置する住居を指されるようです。 堀切 登城口から尾根沿いに進…

《33》 全貌が明らかに、越智の松山城

松山城の全景 松山城は、国道169号線高取バイパスの松山高架橋が通ることとなり、 平成19年に発掘調査が行われました。 たまたま松山城に行った私はビックリ! 中世城郭の堅固さがよく理解でき 非常に感動したのを覚えています。 今まで見てきた城郭は…

《32》 越智氏の南の防御線、藤井城

藤井城の全景 仕事で5連休を頂けたので、奈良盆地の南を支配していた越智氏の城郭 をまわることとした。 ?H2>主郭と櫓台 弁天社の裏(北側)が主郭があり、主郭の中央には櫓台らしき盛り土があり 、主郭の周りは帯郭で囲まれています。 西側の土塁 帯郭の西…

《31》 越智氏の最大の城、貝吹山城

南から見た貝吹山城の全景 5連休を頂き、越智にある『越智城』『貝吹山城』『城ノ口城』 『佐田城』『松山城』『藤井城』『曽羽城』をまわることにした。 結局初日は、『越智』『貝吹山城』『城ノ口城』『佐田城』の 登城口を調べるだけで、昼からは『たか…

《30》 山田氏の本城、岩掛城

岩掛城全景 東山内の三大有力国人として、福住氏・多田氏と肩を並べた国人です。 すぐ東には馬場城をもち、どちらも大型城郭であり、馬場城は石垣をわずか だが使用した堅固な城であったと思われます。 この岩掛城は東西の尾根上に築かれ、東側に主郭を置き…

《29》 放射状に伸びる大型城郭、馬場城

馬場城全景 戦火で焼け落ちた東大寺大仏仏頭再鋳の偉業を成し、彫刻・絵画に専念し 戦国時代唯一の芸術家として、後世にその名を残した山田道安の城である。 遺構は山頂の主郭を中心に放射状に郭を配置し、主郭を石垣で固めた 堅固な城である。主に西側に防…