飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社
なが~い名前なんです
明日香の稲渕~栢森に行く途中に『なが~い名前』の神社があります。
sonoさんも気になっておられたようで、登られたというブログの記事を見ました。
いつぞや機会があればと思っていたところ、先日稲渕で網掛神事を見に行く機会
があり、合わせて寄って見る事に。
拝殿左右に境内社があり、仁徳社・武内社などがあります。
拝殿には、みかん等のお供えものはありましたが、どうみても『廃寺』の
ようでしたが、実のところはどうなんでしょう。
ようでしたが、実のところはどうなんでしょう。
明治天皇参拝所の碑が立つ
境内をさらに進むと、明治天皇参拝所の碑が立っていました。
明治天皇もお立ち寄りになったんだ、この階段を登ったんだと思うと
結構、由緒のある神社だったんだと思います。 ビックリ!
-『大和・紀伊 寺院神社事典』より- 飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社 飛鳥川上流、奈良県明日香村稲淵・栢森間の宮山中腹に鎮座。本殿は中間が遥拝造で、 後方の山を拝する形をとる。祭神は宇須多伎比売・神功皇后・応神天皇。旧村社。 「延喜式」神名帳高市郡の「飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社」とされる。宇須多伎(臼滝) 比売命は飛鳥坐神社の裔神とされる(「延喜交替式」、貞観一〇年六月二八日「太政官符」 類聚三代格)。ちなみに神社東方の大字畑にウスタケの小字が残る。鎮座地稲淵は皇極天皇 が雨乞をした南淵の河上(「日本書紀」皇極天皇元年八月条)で、神社北方に南淵山がる。 近世、宇佐宮・宇佐八幡と通称され、天文二二年(一五五三)銘の御湯釜(現存せず)にも 宇佐八幡宮と刻する(高市郡神社誌)。 「高市郡古跡略考」に「宇佐宮ノ下なる川中ニ少しき淵あり。底ニ駒の足跡あり。皇極請雨 の所にや」とみえ、明治初年まで雨乞のナモデ踊を「本なもで」と称して神社で興行したと 伝え、その後は内宮(稲淵、南淵請安墓に残る旧談山神社)において「かりなもで」が行わ れた。氏子は大字稲淵・栢森・入谷・畑に居住。平安時代前期の作と推定される男女各二体 の神像を蔵する。明治四四年(一九一一)入谷に鎮座の大仁保神社を合祀、合祀後も旧地に 社殿が残されている。同社は仁徳天皇を祭神とし、元慶二年(八七八)二月二七日に従五位下 を授けられた大仁保神(三代実録)にあてる説がある(大和志)。「日本書紀」皇極天皇三年 一一月条に、蘇我蝦夷が大丹穂山に桙削寺を造立したことがみえる。桙削寺跡については 子島寺説、入谷説、高取町丹生谷説(大和志)などがあり、「大和志料」は丹生谷の大仁保神社 をもって国史見在社とする。