《47》 奈良ホテルの下に眠る 鬼薗山城
『経覚私要抄』の文献により、鬼薗山城のことは比較的明らかになっています。
鬼薗山城は文安元年(1444)に古市氏のもと、安位寺経覚が城主として
築城しました。築城は困難で、途中向かいにある西方院山城の築城を試みたり
しながら造られた城のようです。
この城は何度かの戦乱と落城を繰り返しており、文安二年(1445)には
筒井成身院光宣の軍勢が攻め寄せ、自焼し落城。 康正元年(1455)は、
河内畠山氏の抗争によって越智家栄らが攻撃し落城。 その後は興福寺抄汰衆
の中坊懐尊が城主となったが、抗争の沈静化に伴い、長禄二年(1458)に
廃城となり、遺構は全て破却されました。
鬼薗山城は文安元年(1444)に古市氏のもと、安位寺経覚が城主として
築城しました。築城は困難で、途中向かいにある西方院山城の築城を試みたり
しながら造られた城のようです。
この城は何度かの戦乱と落城を繰り返しており、文安二年(1445)には
筒井成身院光宣の軍勢が攻め寄せ、自焼し落城。 康正元年(1455)は、
河内畠山氏の抗争によって越智家栄らが攻撃し落城。 その後は興福寺抄汰衆
の中坊懐尊が城主となったが、抗争の沈静化に伴い、長禄二年(1458)に
廃城となり、遺構は全て破却されました。
現在建つ 奈良ホテル正面玄関
別称 奈良城 所在地 奈良市高畑町 形式 丘城 高さ 標高120m 比高20m 規模 南北80m 東西170m 築城年代 文安元年(1444) 築城者 安位寺経覚・古市胤仙 城主 安位寺経覚・筒井成身院光宣・中坊懐尊 遺構 現存せず
あの奈良ホテルが建つ地に、中世城郭があったなんて。 おそらく、奈良に観光に来る人の
誰が知ってるのでしょうか・・・・・。 隣にある大乗院文化館にもほとんど触れられることはなかったです。 遺構はまったくと言っていいほど残ってはいませんが、すぐ隣にある
西方院山城の遺構は、結構きれいに残っています。 中世の歴史はあまり取りただされて
いないですが、知ると結構楽しいですよ。
訪城日 2006年1月25日(水)/2007年1月28日(水)/2008年3月18日(火)