石上神宮  山の辺の道



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仲良し矮鶏

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【歴史】
 古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座する。非常に歴史の古い神社で、『古事記』・
日本書紀』にすでに、石上神宮・石上振神宮との記述がある。古代軍事氏族である物部氏が祭祀し、
ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。古くは斎宮が居たという。
 その中で、本当に斎宮であったかどうか議論が多いが、布都姫という名が知られている。
 また、神宮号を記録上では伊勢神宮と同じく一番古く称しており、伊勢神宮の古名とされる「磯宮(いそのみや)」と「いそのかみ」とに何らかの関係があるのか興味深い。

 社伝によれば、布都御魂剣は武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使われた剣で、神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、天津神から高倉下の手を通して天皇の元に渡った。
 その後、物部氏によって宮中で祀られていたが、崇神天皇7年、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのが当社の創建である。

 神階は850年(嘉祥3年)に正三位、859年(貞観元年)に従一位、868年(貞観9年)に正一位
 延喜式神名帳には「大和国山辺郡 石上坐布都御魂神社」と記載され、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預ると記されている。

 中世以降は布留郷の鎮守となったが、興福寺とたびたび抗争を繰り返し布留郷一揆が頻発、戦国時代に入ってからは織田信長の勢力に負け、神領も没収された。しかし、氏子たちの信仰は衰えず、1871年明治4年)には官幣大社に、1883年(明治16年)には神宮号を再び名乗ることが許された。

 この神社には本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、またそこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていた。1874年の発掘を期に、出土した剣(布都御魂剣)や曲玉などの神宝を奉斎するため本殿を建造。1913年には、本殿が完成した。禁足地は今もなお、布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれている。

【祭事】

歳旦祭(1月1日) / 元始祭(1月3日) / 古神符焼納祭(1月15日)
玉の緒祭(節分前夜)/節分祭(節分当日)/祈年祭(2月19日)/ 献燈講講社大祭(第1日曜日)
春季大祭(4月15日)
長寿講社春季大祭(5月3日)
神剣渡御祭(でんでん祭)(6月30日) / 大祓式(6月30日) / 崇敬会大祭(第1日曜日)
榜示浚神事(10月1日) / 例祭(ふるまつり)(10月15日)
長寿講社秋季大祭(11月3日) / 鎮魂祭(11月22日) / 新嘗祭(11月23日)
お火焚祭(12月8日)/天長祭(12月23日)/ 神庫祭(12月31日) /大祓式・除夜祭(12月31日)
月次祭(毎月1日・15日)
                                 【wikipediaから抜粋】


 職場の異動が発令されて、計画休の未消化もあったので5連休を頂きました。
 この日は、ちょっと曇り空。 参拝者の数も少なめ・・・・・・
 そうそう、この石上神宮は、以前花見に来たことを思い出しました。

 このあと、内山永久寺、夜都伎神社、竹之内環濠集落、天理トレイルセンター、長岳寺、崇神天皇陵、黒塚古墳、黒塚古墳展示館とまわりました。

 もう桜の季節、気合を入れて石上神宮~大神神宮までハイキングしないとね。




■撮影日  2008年2月24日(日)