相撲神社

相撲神社の鳥居

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□所在地 桜井市大字穴師
□祭神  野見宿禰

 鳥居の奥に、少し色が変わった盛り土が土俵です。 ここで天覧試合をしたと伝えられます。

     古きを訪ね、癒される旅 大和の古道紀行
 
             山の辺の道・キーワード すくねとけはや 

 相撲の始まりにまつわる物語として、日本書紀には、垂仁天皇の時、出雲の野見宿禰と当麻の蹴速が
今で言う天覧相撲とった話が記されています。相撲神社にはカタヤケシという地名が残り、この出来事のあった場所、国技相撲発祥の地として伝えられています。
                             【大和の古道紀行より】

相撲神社の本殿

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 相撲神社は拝殿もなく、祠のような本殿?がありました。

 説明 国技発祥の地 天覧相撲開祖 相撲神社

 国に国歌、国花があるが如く、日本の国技は相撲である。相撲は、もとは神の信仰から出て、国土安穏、五穀豊穣を祈る平和と繁栄の祭典であり、第11代垂仁帝の七年、野見宿禰当麻蹴速が初めて天皇の前で相撲をとり、相撲節(七月七日)となり、それがもとで後世宮中の行事となった。
 昭和三十七年十月六日大兵主神社日本相撲協会時津風理事長(元横綱双葉山)を祭主にニ横綱大鵬柏戸)をはじめ五大関(琴ケ浜、北葉山、栃ノ海佐田の山、栃光)をはじめ幕内全力士が参列、相撲発祥の地で顕彰大祭がおこなわれ、この境内のカタヤケシゆかりの土俵に於て手数入りが奉納された。
                             
                              【本殿横の手書きの説明板より】

 山の辺の道の第三段、景行天皇陵~桧原神社の間に相撲神社がありました。
 この日は天気にも恵まれて、春の花を撮りながらの散策になりました。
 相撲神社は、穴師坐兵主神社のすぐ近くにあり鳥居はしっかりしたものでしたので、拝殿や本殿があるものと思いきや、祠のようなものが一つ相撲神社の説明も、手書きで書かれたもので少し意外でした。  敷地内には、柿本人麻呂の歌碑がありましたよ。




■撮影日  2008年3月27日(木)