長谷寺
□山号 豊山(ぶざん)
□宗派 真言宗豊山派
□寺格 総本山
□本尊 十一面観音(重要文化財)
□創建年 奈良時代(8世紀前半)
□開基 道明
□正式名 豊山 神楽院 長谷寺
□別称 花の御寺
□札所等 西国三十三箇所8番
真言宗十八本山16番
神仏霊場 巡拝の道 第35番
□文化財 本堂、長谷寺経、銅板法華説相図(国宝)
木造十一面観音立像、仁王門ほか(重要文化財)
起源と歴史
長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情は不明である。
寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、道明上人が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年(727年)、徳道上人が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したというが、これらのことについては正史に見えず、伝承の域を出ない。
長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情は不明である。
寺伝によれば、天武朝の朱鳥元年(686年)、道明上人が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年(727年)、徳道上人が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したというが、これらのことについては正史に見えず、伝承の域を出ない。
長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺であったが、平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺となり、16世紀以降は興教大師覚鑁(かくばん)によって興され頼瑜僧正により成道した新義真言宗の流れをくむ寺院となっている。天正16年(1588年)、豊臣秀吉により根来山を追われた新義真言宗門徒が入山し、同派の僧正専誉により現在の真言宗豊山派が大成された。
仁王門(重要文化財)
木造十一面観音立像(本堂安置)附:木造難陀龍王立像及び像内納入品、木造赤精童子立像及び像内納入品。 長谷寺の本尊像については、神亀年間(720年代)、近隣の初瀬川に流れ着いた巨大な神木が大いなる祟りを呼び、恐怖した村人の懇願を受けて開祖徳道が祟りの根源である神木を観音菩薩像に作り替え、これを近くの初瀬山に祀ったという長谷寺開山の伝承がある。
伝承の真偽はともかく、当初像は「神木」等、何らかのいわれのある木材を用いて刻まれたものと思われる。現在の本尊像は天文7年(1538年)の再興。仏像彫刻衰退期の室町時代の作品だが、10メートルを超える巨像を破綻なくまとめている。国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大のものである。本像は通常の十一面観音像と異なり、右手に地蔵菩薩の持つような錫杖を持ち、岩の上に立つ姿である(左手には通常の十一面観音像と同じく水瓶を持つ)。
伝承によれば、これは地蔵菩薩と同じく、自ら人間界に下りて衆生を救済して行脚する姿を表したものとされ、他の宗派(真言宗他派も含む)には見られない独特の形式である。
この種の錫杖を持った十一面観音を「長谷寺式十一面観音(長谷型観音)」と呼称する。
伝承の真偽はともかく、当初像は「神木」等、何らかのいわれのある木材を用いて刻まれたものと思われる。現在の本尊像は天文7年(1538年)の再興。仏像彫刻衰退期の室町時代の作品だが、10メートルを超える巨像を破綻なくまとめている。国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大のものである。本像は通常の十一面観音像と異なり、右手に地蔵菩薩の持つような錫杖を持ち、岩の上に立つ姿である(左手には通常の十一面観音像と同じく水瓶を持つ)。
伝承によれば、これは地蔵菩薩と同じく、自ら人間界に下りて衆生を救済して行脚する姿を表したものとされ、他の宗派(真言宗他派も含む)には見られない独特の形式である。
この種の錫杖を持った十一面観音を「長谷寺式十一面観音(長谷型観音)」と呼称する。
運よく、人影がなく撮影できました。 ほんと一瞬のシャッターチャンス!
この日は、大観音様の特別拝観が行われていました。
歓喜院にある桜が花を咲かせていましたよ。 これ、桜ですよね。
ヤフーの紅葉特集で、長谷寺が紅葉がはじまったという事で、行ってみました。
はは! 嘘つき。。。。 全然紅葉してないですね。
お陰で、参拝者も少なくのんびり見ることができました。
そういえば昨年は11月19日に行きましたが、その時でも紅葉のはじまりっていう感じでしたから
ね。。。 そういえば、昨年は紅葉することなく葉が散った年でしたね。
11月中旬に、機会があれば訪れたいものです。
昨年の長谷寺の記事です。 ⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/a02221370209/26426642.html
⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/a02221370209/26428048.html
⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/a02221370209/26428048.html