綏靖天皇

綏靖天皇 (2代天皇


□よみ      すいぜい
□在位期間    綏靖天皇元年1月8日 - 同33年5月10日
         紀元前581年2月23日? - 紀元前549年6月28日?
□在位中の皇居   葛城高丘宮
□別名       神渟名川耳尊・神沼河耳命
□出生       神武天皇29年(紀元前632年?)
□死没       綏靖天皇33年5月10日(紀元前549年6月28日?)
□陵墓      桃花鳥田丘上陵
□皇子女     安寧天皇
□皇后      五十鈴依媛命(川派媛(第1の一書)、糸織媛(第2の一書)、
         河俣毘売(『古事記』))
□父親      神武天皇
□母親      ヒメタタライスズヒメ

葛城高丘宮
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 都は葛城高丘宮(かずらきのたかおかのみや。現在の奈良県御所市森脇か)。


桃花鳥田丘上陵
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 桃花鳥田丘上陵(つきたのおかのうえのみささぎ)に葬られた。『古事記』に衝田岡(つきたのおか)。現在、同陵は奈良県橿原市四条町字田ノ坪に所在する塚山古墳(円墳・径16m)に比定される。中世には山陵が荒廃して所伝を失い、元禄時代の探陵に諸説生じ慈明寺町のスイセン塚古墳(前方後円墳、墳丘長55m)があてられたりしたが、幕末修陵に際して現陵を擬し、明治11年1878年)治定。

                  【フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)より抜粋】