崇神天皇

崇神天皇(10代天皇


□よみ       すじん
□在位期間     紀元前97年2月17日 - 紀元前29年1月9日
□在位中の時代   古墳時代
□在位中の皇居   磯城瑞籬宮
□別名       御間城入彦五十瓊殖天皇 御肇國天皇 
          御眞木入日子印恵命 所知初國御眞木天皇 美萬貴天皇
□出生       紀元前148年
□死没       紀元前29年1月9日
□陵墓       山邊道勾岡上
□皇子女      垂仁天皇 彦五十狭茅命 国方姫命 千千衝倭姫命 倭彦命
          五十日鶴彦命 豊城入彦命 豊鍬入姫命 大入杵命 八坂入彦命
          渟名城入媛命 十市瓊入媛命
□皇后       御間城姫
□父親       開化天皇
□母親       伊香色謎命

磯城瑞籬宮
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 都は磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや、奈良県桜井市金屋の志貴御県坐神社が伝承地)。

 『古事記』には、「師木の水垣宮(みづかきのみや)に坐しまして、天の下治めらしめしき」とある。

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 山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)に葬られた。

 『古事記』に「山邊道勾(まがり)之岡上」。

 現在、同陵は奈良県天理市柳本町の柳本行燈山古墳(前方後円墳・全長242m)に比定される。
 
 しかしながら、それより少し前に造られた西殿塚古墳前方後円墳・全長220m)を、その真陵とする考

え方もある。

 行燈山古墳は、形状が帆立貝形古墳(初期の前方後円墳。前方部が小さく造られている)のようになっ

ているが、これは江戸時代の改修工事によるものとも言われている。


                   【フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)より抜粋】