当尾の里 石仏めぐり その1

当尾の里 観光案内図
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 当尾は、奈良の興福寺の別所として、寺院や多数の石仏が造られるなど仏教文化が花開いた
地域です。交通の便は、良いとは言えないですが、紅葉のシーズンでも観光客は少なく
風情のある景色を堪能できました。
みろくの辻弥勒磨崖仏(弥勒如来立蔵:鎌倉期)
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 旧道沿いの露出した巨岩(花崗岩)に、長方形の龕を彫り窪めて三体の地蔵菩薩を厚肉彫に
したものです。 この前に路上駐車して、写しました。
岩船寺三体地蔵磨崖仏(鎌倉末期)
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 この写真は、昨年10月に写したものです。 みろくの辻弥勒磨崖仏から、旧道を挟んで
反対側の山道を登ったところにあります。
六体地蔵
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 この写真も昨年10月に写したものです。 六体地蔵は、岩船寺から北に進みます。
前回はバイクで来たので行けましたが、今回はハイキング! 少し距離があるので、パス
させていただきました。
岩船寺
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 高雄山報恩院と号する真言律宗西大寺派に属する当尾地方屈指の古刹ですが創建由緒は明らか
でありません。寺伝によると当寺は天平元年(729年)、僧・行基一宇阿弥陀堂を建てたのが
始まりと伝え又、大同元年(729年)、知泉(弘法大師姉の子)が潅頂堂、報恩院を造営したと伝え
ます。しかし、本尊の阿弥陀像が天慶9年(946年)の造顕である事から想像して、平安時代に流行
した阿弥陀信仰によって建立されたと思われます。中世の兵火に掛かって焼失し今は、本堂、
三重塔、鎮守社があるだけですが、建築、仏像、石造遺物に見るべきものが多く、紫陽花寺として
も知られ、浄瑠璃寺と共に訪れる人が多いお寺です。
 色々と見所のあるお寺でした。 詳しくは、『岩船寺』というタイトルで掲載しますので
そちらをご覧ください。 ほんと紅葉も綺麗で、楽しませていただきました。
岩船不動明王磨崖仏(一願不動)
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 車を岩船寺の駐車場に停めて、いよいよここからハイキングがスタートです。
藪中の巨岩に彫られた不動明王立像は高さ約1.2m、頭上に開花蓮を載せ、右手には棍棒を持ち、
怒っている様な面持ちです。彫られたのは鎌倉時代弘安10年(1287年)と伝え一つだけ、一心に
お願いすれば、願いを叶えて下さるので、「一願不動」とも呼ばれます。本当は大日如来が怒っ
ている姿で愚かな人間を叱っていると言われ根底にあるのは、絶対的な愛の姿らしいです。
八帖岩
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 急な山道を下っていると、目の前に大きな岩が出現します。 これが八帖岩。
こんなのが転がり落ちたら、ひとたまりもありませんね。
眠り地蔵(埋もれ地蔵:南北朝期)
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 この仏様は、長い間土の中に埋もれていたそうです。 名前の由来はそこからきたようです。
笑い仏のすぐ横に居られますが、見落としてしまいそうなので注意してください。
以前伺った時は、赤いおべべを着けておられたのですが。。。。
笑い仏(岩船阿弥陀三尊磨崖仏:鎌倉期)
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 当尾石仏群の中で最も有名な石仏です。平重衡(たいらのしげひら)の南都焼き討ちで焼失した
東大寺再建の為に、遠く南宋(中国)から招かれた石工・伊行末(いのゆきすえ)の子孫・伊末行
(いのすえゆき)が作者です。脇侍に蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩を配置する構図は
来迎阿弥陀図を思わせます。保存状態もよく、夕陽に佇む姿が微笑ましいと言われます。
カラス(唐臼)の壺(南北朝期)
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カラスの壺阿弥陀、地蔵磨崖仏(南北朝期)
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 テクテクと岩船寺から歩いてきましたよ。自宅を出たのが10時前。。岩船寺についたのが
11時頃。。。この地点でちょうどお昼お迎えました。 お腹も空いてきたころ。。。。
とりあえず浄瑠璃寺まではお預けです。 日差しも気持ちよく、少し汗ばむ程度です。
 ではでは、その2につづきます。


撮影日  2008年12月4日(木)