平尾水分神社のオンダ祭
月曜日は京都で仕事。 なんとか用事を片づけて18時半頃に平尾に到着。
ナビにもない細い道を駆け上がります。 水分神社の前には小さな駐車場があり助かりました。
19時にもなると駐車場もいっぱい。 駐車場入ってしまうと、曲がりくねった細い道は
バックでは下れません。 下に路上駐車するのが無難かもしれません。
19時頃になると村人も集まり、集会所でオンダの準備を行います。
中で何をしているかはわかりません。
中で何をしているかはわかりません。
外で待つ私達に、甘酒の振る舞いがありました。 寒空の下、この甘酒は身も心も温めて
くれます。 それに、おいしいんですよ♪
くれます。 それに、おいしいんですよ♪
集会所が開いた瞬間にお供え物をぱちり!
村人たちは、まずは神様にお参りしてから集会所に入っていきます。
おんだ祭に先立って、男達は三社大明神神殿前で年始めの五穀豊穣を暗闇の中で祈ります。
いよいよオンダのはじまりです。 集会所から主役の大当と小当が出てきます。
大当と小当は1年交代で変わり、神主として勤めるそうです。
大当と小当は1年交代で変わり、神主として勤めるそうです。
大当は三社大明神を讃え、祝い詞の「鍬初め」を詠みあげます。鍬を振り上げ「掛初」「苗代
角打」の儀を行います。
次に柄を扇子で三回叩きながら「吉事はこの当所へしっとしっとしっと 悪い事は西の海へずう」
っと拍子をとる「苗代しめ」が行われます。
「まこよまこよ 福の種をまこよ」と、籾種をぱーっと蒔く「福の種」の儀がつづきます。
角打」の儀を行います。
次に柄を扇子で三回叩きながら「吉事はこの当所へしっとしっとしっと 悪い事は西の海へずう」
っと拍子をとる「苗代しめ」が行われます。
「まこよまこよ 福の種をまこよ」と、籾種をぱーっと蒔く「福の種」の儀がつづきます。
種蒔きが終わると一旦休息のとき。 間食(けんずい)の時間となります。
「芋つむぎ」「春田打」「鳥追い」を謡い、お田植え祭はいよいよ佳境を向かえます。
「若い初乙女をしともみもんだれば」と謡う苗取りに続いて、田主を先頭に初乙女は苗と笠を持
って舞台をぐるりと一周します。 小さい子供は大人に介助を受けながらかわいく周っていました。
って舞台をぐるりと一周します。 小さい子供は大人に介助を受けながらかわいく周っていました。
苗と笠を持ち換えて、「若い初乙女をしともみもんだれば」と謡いながら今度は逆方向に一周し
ながら「御田植」「追苗取」を行いオンダがおわります。
ながら「御田植」「追苗取」を行いオンダがおわります。
一旦引き揚げた大当・小当が再度現れます。 小当は黒い翁面の「若宮さん」を抱き抱え
入場します。 若宮さんはコヨリをたくさん巻きつけられており、このコヨリを患部に当てれば
病い平癒するという力をもっているそうです。 皆このコヨリを求めて列ができます。
入場します。 若宮さんはコヨリをたくさん巻きつけられており、このコヨリを患部に当てれば
病い平癒するという力をもっているそうです。 皆このコヨリを求めて列ができます。
はは!いつものごとく今回もいただいちゃいました。
頂いた部位は。。。。。あたま。 あたまが良くなりますように。。。
あたまがハゲませんように。。。。
息子の受験が、うまくいきますように。。。。
ちょっとお願いこと多いですかー
あたまがハゲませんように。。。。
息子の受験が、うまくいきますように。。。。
ちょっとお願いこと多いですかー
この歴史ある伝統行事も、この冊子で引き継がれています。
説明が前後しましたが、平尾水分神社は、江戸期に宇陀水分社より水分神を勧請した末社で古名
を「玉岡之社」と言われています。ここのオンダ祭は夜に行われ、古式保つ行事として今もつづき
ます。 特に言葉が江戸時代頃の古い言葉そのまま伝えられているた、たいへん貴重な神事です。
を「玉岡之社」と言われています。ここのオンダ祭は夜に行われ、古式保つ行事として今もつづき
ます。 特に言葉が江戸時代頃の古い言葉そのまま伝えられているた、たいへん貴重な神事です。