高取 土佐街道
街道筋に屋敷を移しました。次第に城下町が形成され土佐街道が誕生します。
今でも土佐街道は古い町家が残り、当時の面影が残っています。 土佐街道を歩くと石畳が敷き
詰められていることに気が付きます。この石畳は、阪神大震災の復旧工事で出てきた阪神国道の路
面電車に使われていた石畳で、それを再利用したものなんですよ。
今でも土佐街道は古い町家が残り、当時の面影が残っています。 土佐街道を歩くと石畳が敷き
詰められていることに気が付きます。この石畳は、阪神大震災の復旧工事で出てきた阪神国道の路
面電車に使われていた石畳で、それを再利用したものなんですよ。
当時はほとんどが平屋で、2階は屋根裏程度となっていました。このような建築は『つし2階建
て』と呼ばれ、お殿様を見下ろさない配慮と言われています。またこれらの建物の窓は、連子格子
が用いられ今もなお昔の面影を残した家並みが残っています。
て』と呼ばれ、お殿様を見下ろさない配慮と言われています。またこれらの建物の窓は、連子格子
が用いられ今もなお昔の面影を残した家並みが残っています。
いまでは珍しくなったポスト。。。 まだまだ現役です♪
知らない人も多いかも。。。。。 お風呂屋さんにあった脱衣箱ですよ。
なつかしいなぁ~ この鳥居の奥には小島神社があります。小島神社は、奈良県指定有形民俗文化財で、『ナモデ
踊り絵馬』があります。 雨乞成就に際して藩内の村々から奉納された物で、雨乞いやその満願
に際して踊られた姿が描かれています。享保8年(1723年)、宝暦2年(1752年)、文政4年(
1821年)に描かれた3枚が奉納されています。 この絵馬は『高取城まつり』の時だけ、一般公開
されています。
踊り絵馬』があります。 雨乞成就に際して藩内の村々から奉納された物で、雨乞いやその満願
に際して踊られた姿が描かれています。享保8年(1723年)、宝暦2年(1752年)、文政4年(
1821年)に描かれた3枚が奉納されています。 この絵馬は『高取城まつり』の時だけ、一般公開
されています。
高取城、松の門の一部がここに移築しました。
夢創館の隣にあるガーデニング。。。 ここだけちょっとヨーロッパ風?
おっぱい。。。。。。。 おいおい! ごめんなさい。
前回は短い時間の訪問だったので、今回はゆっくり土佐の街並みを堪能してきました。
江戸時代の面影が残る土佐街道。。。。。
今回はモノクロでご案内するのがいいかと思い、ちょっと編集してみました。
なんか子供のころを思い出したりして。。。。。。
いかがですか? モノクロの土佐街道は。。。。。。