興福寺 南円堂(重要文化財)

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 興福寺藤原氏の氏寺として建てられました。もとは飛鳥にあり、平城遷都(和銅3年 710年)とともに現在の地に移りました。南円堂はその100年後(弘仁4年 813年)に、藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を祈って建てられました。
 
 基壇築造の際に地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝をまきながら築造されたことが
発掘調査で明らかになりました。 弘法大師空海がこの儀式に深く関わったとも伝えられています。
 
 創建以来4度目の建物ですが、寛政元年(1789年)頃に再建されています。
 堂内には『木造不空羂索(ふくうけんじゃく)観世音菩薩坐像(国宝)』が安置されており、仏師運慶の父、康慶の作とされています。文治5年(1189年)に開眼供養が行われたといわれています。
 この他、『四天王像(国宝)』も安置されています。
 
 この南円堂は、四国三十三所観音霊場の第九番札所にもなっています。
 
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撮影日   2010年4月25日(日)