帯解寺 小野小町忌

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 帯解寺縁起
 当山は弘法大師の師である勤操大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松庵と申しました。
 そして、今から約1100年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。
文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。
 帯解の名称はここから始まりました。

                                    帯解寺HPより転載

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 小野小町
 小野小町忌とは、平安時代の絶世の美女と謳われた”小野小町”を偲び、参拝する人々が『心の美人』となって幸せに生きられるよう毎年4月24日に営む法要です。

 江戸時代、当山境内に存在した”小町の宮”の跡地に、平成14年 石碑を建立し、開眼法要を営みました。平成16年には小町の舞の舞踊奉納をしていただき、翌年には小町の一刀彫りの人形が祠に納められました。
 現在では、小町の祠前で法要が行われ、その後、本堂南側にて坂本流による七小町の舞が奉納されます。平成23年(2011年)度の小野小町忌は午後2時からです。本年は東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福とともに、被災地の一日も早い復旧をお祈りさせていただきたいと思います。お繰り合わせの上、ぜひご参詣ください。
 尚、当日ご参詣の先着200名様に粗供養を進呈させていただきます。


                                    帯解寺HPより転載
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 平成17年。 小町の一刀彫を祠に納められました。

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 本堂南側にて、坂本流による七小町の舞が奉納されます。

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 法要が終わると、全員に配られたぬれ小町♪




■撮影日  2011年4月24日(日)
■所在地  奈良県奈良市今市町734  帯解寺