南淵請安の墓

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明日香彼岸花まつりの日に立ち寄ってみました。

 麓では案山子コンテストが行われており、大勢のひとで賑わっています。

 少し人混みを避けて、しばしここでひと休み~♪

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 では、南渕請安先生についてお勉強。

 南淵 請安(みなぶち の しょうあん、生没年不詳)は、飛鳥時代の学問僧で、大和国高市郡南淵村(現在の明日香村稲渕)に住んだ南淵漢人(みなみぶちのあやひと)と称する漢系渡来氏族出身の知識人です。

 経歴は608年(推古天皇16年)、遣隋使小野妹子に従い高向玄理、僧旻ら8人の留学生で、留学僧の一人として隋へ留学しました。32年間、隋の滅亡(618年)から唐の建国の過程を見聞して、640年(舒明天皇12年)に高向玄理とともに帰国。隋・唐の進んだ学問知識を日本に伝えた人です。

 中大兄皇子中臣鎌子は請安の塾に通う道すがら蘇我氏打倒の計画を練ったと伝えられる。請安が伝えた知識が大化の改新に与えた影響は大きいが、彼自身は新政府に加わっておらず、これ以前に死去したものと思われる。


                【フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より抜粋】


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 南渕請安先生のお墓は、入口の方では無く裏側に建てられています。

 気がつかない人も多いかも。。。。。

 こっちの方が、明日香が見渡せて本人はうれしいよね。

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 黒駒を境内まで乗り入れちゃって。。。。。ごめんなさい。

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 ここも、彼岸花きれいに咲いていましたよ。

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 請安先生のお墓に続く道もほら。。。。。。




■撮影日  2011年9月25日(日)
■所在地  高市郡明日香村稲渕  稲渕談山神社