金環日食撮ったぞ~(^O^)/

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≪日食の種類≫

月の地球周回軌道および地球の公転軌道は楕円であるため、地上から見た太陽と月の視直径は常に変化する。月の視直径が太陽より大きく、太陽の全体が隠される場合を皆既日食(total eclipse)という。逆の場合は月の外側に太陽がはみ出して細い光輪状に見え、これを金環日食(または金環食。annular eclipse)と言う。

皆既日食金環日食、および後述の金環皆既日食を中心食と称する。

中心食では本影と金環食影が地球上に落ちて西から東に移動しその範囲内で中心食が見られ、そこから外れた地域では半影に入り太陽が部分的に隠される部分日食(partial eclipse)が見られる。半影だけが地球にかかって、地上のどこからも部分食しか見られないこともある。

場合によっては月と太陽の視直径が食の経路の途中でまったく同じになるため、正午に中心食となる付近で皆既日食、経路の両端では金環日食になることがあり、これを金環皆既日食(hybrid eclipse)と呼ぶが、頻度は少ない。

また日の出の際に太陽が欠けた状態で上る場合を特に日出帯食、逆に欠けた状態で日の入りを迎える場合を日没帯食と呼ぶ。この場合、いずれも食の最大を迎える前と食の最大を過ぎた後に分類される。



≪日食の神話≫

天照大御神の天の岩戸の神話は日食を表しているとの見方がある。現在のところ過去の特定の日食現象には同定されていない。計算上は、邪馬台国の時期に日本列島で日食が2回起きた可能性がある。卑弥呼が死んだとされる247年と248年である。国立天文台の谷川清隆・相馬充らは、「特定された日食は『日本書紀推古天皇36年3月2日(628年4月10日)が最古であり、それより以前は途中の文献がないため地球の自転速度低下により特定できない」としている[3]。


≪伝記・資料によるその他の日食の記録≫

【1】628年4月10日(推古天皇36年3月2日):部分食 日本で記録に残っている最古の日食。『日本書紀』の推古36年3月の条に、「三月丁未朔、戊申日有蝕尽之」(三月の丁未の朔、戊申[5]に日、蝕え尽きたること有り)と記録されている(全文は近代デジタルライブラリー内『日本書紀巻二十ニ』(国史大系本第一巻)の205/300頁にあり[6])。「日、蝕え尽きたる」は、当時の都である飛鳥京で皆既食が見えたように思わせるが、実際は日本のすぐ南東沖を通過した皆既食で、当時の飛鳥京では食分0.93程度の部分食であった。推古天皇は5日後の4月15日(3月7日)に死去している。

【2】1183年11月17日(寿永2年閏10月1日):金環食 平家物語源平盛衰記に記されている水島の合戦のさなかに起こった日食。水島での食分は0.93とされる。天文寮を擁する朝廷側の平家はこの日、日食が起こることを知っていて、太陽が欠けていくことに恐れ混乱する木曽源氏に対して戦いを有利に進め平家が勝利した。以下は、源平盛衰記の記述。 「寿永二年閏十月一日(1183年11月17日)、水島にて源氏と平家と合戦を企つ。城の中より 勝ち鼓をうってののしりかかるほどに、天俄(にわか)に曇て、日の光もみえず、闇の夜のごとくなりたれば[7]、源氏の軍兵ども日食とは知らず、いとど東西を失いて、舟を退いていずちともなく風にしたがいてのがれゆく。平氏の兵(つわもの)どもはかねて知りにければ、いよいよ時(の声)をつくりて、重ねて攻め戦う。」


                  【フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より抜粋】


【7時21分】
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【7時28分】
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【7時33分】
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【7時36分】
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≪撮影設定≫

■カメラ     CANON EOS60D
■レンズ     EF28-300mm F3.5-5.6L IS USM
■フィルター   ケンコーPLフィルター
■絞り値     f/14~40
■露出時間    1/8000秒
■プログラム   シャッタースピード優先
■ISO     100
■露出補正    -3.7ステップ
焦点距離    275mm
■ピント     マニュアル
■手ぶれ補正   OFF




 どうせうまいこと撮れないだろうと、直前まで何も準備していなかったものの、いざ金環日食

目で見てしまうと、絶好の条件が整ってるやないですか。

 慌てて三脚を用意してカメラをセットしたものの、日食グラスも持ってない(-_-;)


 ああだこうだと色んなことをチャレンジしたものの、結局なんのあがきもせず撮ったものが一番

ましやった~(;一_一)


 まぁ、試してみたのは黒いセロファンを貼る。 サングラスで透過する。 手のひらで覆う。

レンズカバーで視野を狭めるなどなど。。。。。


 太陽の位置がバラバラなのは、カメラのセンサー焼き付き防止の為、極力太陽光を入れなくした為と、

レンズの前に色々な物を取り付けるたびにに位置が変わってしまった為。


 欲を言えば、完全に固定して合成で移りゆく金環日食を撮りたかった(;一_一)


 次は。。。。。  間違いなく生きてないのよね(;一_一)



 もう一生見ることができない金環日食

 感動をよぶような写真じゃないけど、記録用としては上出来ということで。。。。。。





■撮影日  2012年5月21日(月) 撮影時間 7時10分~7時40分頃まで
■撮影場所 奈良県北葛城郡河合町  自宅の庭にて