日本最古の本格的伽藍配置の大寺院 飛鳥寺
飛鳥寺
【現地説明板より】 『日本書紀』によれば、崇峻天皇元年(588)に蘇我馬子に法興寺を建立することを計画、 同5年には仏堂(金堂)歩廊(回廊)が完成。 推古天皇元年(593)には塔を起こし、同4 年には一応の建物が完成したようである。 同13年には丈六仏像を造り、翌14年に安置した とある。 日本最古の本格的な寺院で、その造営に際して多くの博士・工人が朝鮮半島から渡来 して当たったことが起されている。 大化改新や天皇の病気平癒など飛鳥時代を通じて飛鳥における中心的な役割を果たしたが、建 久年間に消失し、現在に至る。 法興寺・元興寺とも称され、現在は止利仏師の作と伝える重要 文化財の銅建丈六仏が残る。 昭和31年から継続的な発掘調査の結果、塔を中心に三方に金堂を置き、北側に講堂、南側に 中門・南大門の跡があることが判明した。 寺域は南北290m、東西200~250mの規模 をもち、飛鳥では大官大寺とともに、最大規模の寺院であった。
飛鳥大仏
「飛鳥大仏」の名で親しまれている釈迦如来坐像。全長2メートル70センチ。
法隆寺の釈迦三尊像と同じ鞍作止利(くらづくりのとり)の作で、顔を含め全体の造りに共通する部分が多い。 ただ、鎌倉時代に落雷で半壊するなど、後世の補修による部分が多く、当初から残
るのは顔の一部分と、右手指3本のみである。
蘇我入鹿の墓
皇極4年(645)大化の改新での出来事。 中大兄皇子は藤原鎌足と謀って、飛鳥板蓋宮で
蘇我入鹿の首をはねた事件が起こりました。
ところが、はねられた首は地面には落ちず宙に浮き、この首塚の地まで飛んだと言われます。
そのすさまじい怨念を鎮めるために建てられたのが、蘇我入鹿の首塚だといわれています。
当時の飛鳥寺の配置図
所在地 奈良県高市郡明日香村飛鳥682 山号 鳥形山 宗派 真言宗豊山派 本尊 釈迦如来(飛鳥大仏、重要文化財) 創建年 6世紀末頃 開基 蘇我馬子 正式名 鳥形山 安居院(現在の公称) 別称 法興寺、元興寺(共に旧法号) 札所等 新西国霊場9番 文化財 銅造釈迦如来坐像(重要文化財)